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2016年1月26日火曜日

寒気に勘気を想う

今朝の寒さもまさに寒中って感じで鼻の穴にツンとくるようでした。ま、あたしの朝は4時台、夜明け前の一番冷え込む時間帯なのでみなさんの感覚とはまたちょっと違うかもしれません、と、威張ってんのか?
昨夜初めてお茶々があたくしの布団で寝まして、というのもお〇っこされて懲りた坊主に締め出し食ったからという消極的理由からではありましたが、それでもなんか嬉しくってさ。とか言いつつなかなか入ってこなくて耳元でズルズル鼻水の音を聞かされてたので。いつも以上に寝不足になっちまいまして。寒くなってまたちょいぶり返したかも?

昨日は鹿児島の雪景色に維新の英傑を想いましたが、今朝の寒気にはまた二つの山の物語を思い起こしたんであります。
その一、八甲田山。
対露戦を想定して明治陸軍が行った雪中行軍演習で起きた、あまりにも有名な青森第五連隊(でいいの?)遭難の悲劇ですね。
新田次郎の原作読んだのは映画見てからかなり後の事。ほぼ全滅に近い凍死者を出したのは装備や輜重を軽んじた無謀な行動計画に加え指揮系統の乱れで、追い打ちをかけた不幸は気象予報が未熟だった当時にあってたたまたま重なった、今でいう双子玉低気圧の来襲でした。
目も開けられない暴風雪の中、救援を呼ぶのに近道だと裸になって川に飛び込みそのまま凍り付いて動かなくなる兵士。それをまた見送る側も障害物の無い川を行くとは妙案と思うなど、思考能力すら凍結する極限の群像劇に震えを催しつつ、雪が降ろうが川が凍ってようがザブザブ入って行く人間が周りにたくさんいることに気づきました。カヤッカーって馬鹿ね (^o^)

その二、エベレストまたはチョモランマ。毎度申しますとおり書くための検索はしないのを矜持としておりますので間違っててもぐみんなたい。
「そこに山があるから」の台詞で名高い登山家J・Kマロリー。世界最高峰への初登頂に挑んだ彼は最終アタックの姿を頂上直下の斜面に目撃されたのを最後に消息を絶ち、そのまま戻ることはありませんでした。はたして彼は登頂後に遭難したのか否か?それによって登山史は全く違うものに書き換えられてしまうのです!答えを知っているのは彼が持っていたコダックのカメラだけ。
もしそれが発見されればデスゾーンの環境ゆえにフィルムの保存状態が良いに違いなく、現像できる可能性は高いという。初登頂の姿はそこに刻まれているのかっ?
ワクワクするような話ですね~!これに材を取ったのが小説「神々の山嶺」で、面白かったなあ。映画見たいなあ。

しかしこのどちらもですよ。貼るカイロもゴアテックスもダウンジャケットも無かった頃の話で、凍傷予防は靴下に唐辛子入れる程度、ペラペラの布切れ重ね着してせいぜい毛のセーター?濡れたら乾かない皮の靴とか手袋とかでしょ~!
剣岳山頂に錫杖を残した坊さんといい、現代人と身体の作りが根本的に違ったわけじゃあるまいに全く良くやりましたよね。
ヒートテックの上下と裏起毛ズボンにダウンジャケットフードごと被って、それでも震えながら往時に想いを馳せたんであります。

余談ながら安住紳一郎がラジオでしゃべってました。青森出張ついでに一人レンタカーを走らせ、興の乗るままに地図もナビもない旅に人生をなぞらえつつイケイケの後ふと気づけば既に山は黄昏。そこではたとその場所が八甲田山殉難の碑の前であることに気づき、急に怖気づいて一夜の宿を請いましたが、翌朝ジャケットの胸に無数の穴が開いているのを見つけるに及んで柄にもなく不遜な?自分が天の勘気に触れたのではと震え上がったそうです。
でね。それ実は駅で冷麺食べた時にこぼした汁を、ネズミがかじった痕だったんだって。 

なんか・・・やっとここまでたどり着いた感じ?その割に面白くなかったね (T_T)








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