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2016年1月25日月曜日

南の雪に想う

琴奨菊優勝で熱くなる角界をよそに各地に寒波襲来!東京は雪降らずに済みましたが西の方は大変なことになってますね。雪に慣れてないのはこちら以上でしょうから心配なこってございます。峠路で立ち往生の車列では一晩車内で過ごす人もいるようで、どうかお大事になすってくださいね。
雪こそなかったけど寒さハンパないっすね~。今朝はニッコー水道が凍っちまい、早朝の冷え込む現場にはお湯もなくみんな苦労しました。

ニュースで鹿児島の西郷さんの銅像が雪に埋もれてる映像見まして、心はたちまちにして西南の役当時に飛んでいったんであります、いたわけじゃないけど。
明治十年一月(だっけ?)陸軍大将西郷隆盛を頭に頂く私学校党を中心とした鹿児島士族一万(くらい?)は、近隣からの同調者も合わせて明治政府の非を鳴らすべく城下を発ちました。時あたかも降りしきる大雪!
見送りの人々の中を行く桐野利秋は馬上から竹の棒を振り上げ路傍に積もった雪団子に一閃「熊本鎮台ごときはこの雪のごと、いらさ棒で一叩きごわす!」と気勢を上げました、と、見てきたようなこと言ってますが。
後の歴史にも明らかなようにこの蜂起は失敗に終わり、西郷、桐野、村田新八、別府晋介、篠原国幹ら幕末から維新を駆け抜けた剽悍なる薩摩武士たちは、まさに翔ぶが如く世を去りました。世にいう薩南血涙史ですなあ (T_T)
西郷と苦楽を共にし肝胆相照らす仲であったものの心ならずも袂を分かち、彼らを討伐する側になった大久保利通も、それからほどなく紀尾井坂で暗殺者の凶刃に斃れました。
義によって幕府側に立ち戊辰戦争後辛酸をなめた会津、官軍として彼らに当たった薩摩、ここに両者は時を経て痛切なる痛み分けとあいなったのでありました。
いや~、歴史ってやっぱドラマチックですね~!

一瞬のニュース映像にこんな想いが広がりまして、しばし恍惚としてしまいました。
しかしあれだね。西郷下野の理由は様々にあったようですが、政府の顕官となったかつての貧乏志士たちが高位に溺れ、華奢に耽る様への批判もあったんですな。
とはいえ西郷ほどの高潔な志は稀有な例としても、多少の驕りはあったにせよあの時代のリーダーたちが幕末の白刃から維新後列強の圧力の下を命がけで生きていたことには違いなく、だからこそその地位をなげうっても百年後の日本の姿を見据えて行動できたんでしょう。

本人なりに真剣なんだろうけどろくな苦労も知らないで名前残すために戦争したがっちゃったり、次世代に核廃棄物押し付けてなんもしなかったり、セコい金の問題で地位に恋々としたりする今どきのリーダーたちに、あの時の雪でも食べてちょっと考えて欲しいと思ったんであります。
久々似ている川流です。

 薩南は 降る雪想い 余りあり  と 札ナンバー 振る行き先に 甘利あり は似ている

 
 
 









 

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