日光畜産創業者であるおやじが亡くなって二年がたち、ちょうど命日にあたる土曜日三回忌法要を執り行いました。
言うても全部ねえちゃんが取り仕切ってくれましてあたしゃ何もせんと。
豪雪地帯十日町から十代で単身上京し働きながら苦学して早稲田大学を卒業、サラリーマンから身を起こし会社を設立、小なりとはいえ幾多の困難を乗り越え五十年以上続く礎を作った実に偉い男でありました(身贔屓)。
よく働きよく遊んだ人でスキーと登山を通じ板橋区に各協会を、その他個人的にハイキングクラブやスキークラブを創設し後進の育成にも熱心に当たる一方で、決して酒癖が悪いわけではないものの飲んだ上での失敗は数知れずいずれはどこかで行倒れるかとの心配を見事外して孫やひ孫に見守られながら逝きまして、最期のセリフが「オールOK!」実に充実した幸せな人生でありました。
例によって午前中は仕事して、そういや葬式の日も朝から仕事してたなあとどんな生活してんだ?
三年経っても写真見るとまだ泣けてくるねえなんてんで故郷十日町と分骨した浅草のお寺で法要を済ませ、お客さんである箱崎ロイヤルパークホテルの中華桂花苑さんで会食いたしました。
お袋、アネキ、甥夫婦、姪夫婦とその長男、あたくしの坊主二人とお嫁さんひとりで。
法要の折住職から今時これだけ大人数集まるのも珍しいですねなんて、亡くなる直前にも思ったことですがこういう時ほど身内のありがたさを感じるもので、とは言ってもおやじがあまねく愛情(金も)を注いだ結果であって、果たして自分らの代にどうなるかはまあ風任せってとこでありましょう。
あたくしなんぞそもそも連れ合いもいなけりゃしっかり者の娘もおりませんし。
しかしあれよね
世の中には中興の祖なんつって先代ののれんをいや増して大きくした立派な後継者がいるのに比べ、お人よしを絵に描いたようなぼんくらで海面すれすれの低空飛行に甘んじてるあたくしのような不肖の息子もいるわけで。
情けないっちゃ情けないけど唯一おやじを喜ばせる報告もありまして。
そのうち書くかもであります。
父ちゃんいろいろごめん! でもって改めてありがとう~!