亡きおやじが新しいもの好きだったため八ミリフィルムカメラが割と早いうちから家にあり、同世代の子どもよりは動画の形で残っているものが多い方かもしれません。
もっとも映写機はかなり高価だったため借り物で、撮るより映す機会は大分少なかったような。
団地の四畳半を暗くしてシーツのスクリーン見てた時のワクワクは今でもよく覚えております。
さほどでなくともうちの坊主たちの頃はビデオデッキにカメラから移して見る時代、手間かかる分イベント感は今よりかなりあって、旅行の後で写す時はやはり家族そろって見たもんで。
どうかすると目の前で坊主が何か言ってるのに「これ見てからな」なんてんで、リアルよりバーチャル?を重んじるってのはままあるこってございます。
ユーチューブで投稿された怪談や不思議話を淡々と読む動画(絵は無い)をよく聞いておりまして、先日ええ話を集めたものの中にお袋さんとのものがあり、おやじの反対を押し切って背中を押してくれたおかげで行くことが出来た留学先から危篤の知らせで帰国、死に目には間に合ったものの何一つ孝行できないまま逝ってしまった後悔の中、四十九日が済むまで毎晩夢で会えたなんてのを聞いて思わずもらい泣きしてしましました。
けれど
同じように散々っぱら世話かけながら大きく(既に衰退期だが)してもらい現在に至りながら逆に老いて手がかかるとなるといい顔せずに面倒くさがるってのは、過去のビデオ見ながら現在を蔑ろにするかのようではあるまいか、と。
母ちゃん、ごめん。
また翻って自分の向後の事と思い併せる時特殊な例外を別として、人間最後の幕を自分で引けないって事が一番難しい問題だと思います。
惜しまれてるうちに逝きたいけどなあ。