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2015年2月28日土曜日

春に上向く

直売会でした。少〜し春めいてきたせいか、朝イチの行列も復活。お待たせしちゃったけど試食コーナーもお祭りさわぎで、あたしも寒さを忘れて焼いてるうちに本当にポカポカしてきました。今日も沢山にありがとうございました!





























今回もくたびれました。スタッフのみんなありがとう!帰って寝ようぜ!

2015年2月27日金曜日

朗読を黙読する

「思考は言語なり」という言葉があります、あたしが作ったんだけど。ものを考えるってのは頭の中で言葉がぐるぐる回ってる事だと思うんです。であれば国民性ってのも言語に影響されてんじゃないでしょうか?ま、言葉の発生自体環境に影響されたんでしょうから、言葉が先か国民性が先か?という問題もありますわな。
「英語で詩を語り、フランス語で愛を語り、ドイツ語で神を語り、ロシア語でロバを叱る」なんつ~言葉もありますね。映画「独裁者」の中でチャップリンが使った、口述筆記のシーンのなんちゃってドイツ語は面白かった!アジテーション向きの言葉は、使い方間違うとヤバいっす。
ドイツ文学と意識して本を読んだことはありませんが、子供のころ何回も読んだケストナーの「エミールと探偵たち」はそうなのかしらん?先日読んだ「朗読者」もドイツの話でした。

15歳の私は、路上で貧血を起こしたところを一人の女性に介抱されます。やがてハンナというその美しい大人の女性と恋に落ち肉体に溺れてゆきますが、私のことを坊やと呼ぶ彼女はどこか掴みどころがなく、ある日不意に姿を消します。
大学で法科に進んだ私は、ゼミで見学した戦争犯罪者を裁く法廷で思いがけず被告となったハンナに再会。彼女はナチの強制収容所の看守だった過去があったのです。敗戦間近、収容者を連れて移動する途中起きたある悲劇により、多くの女子供を目の前で焼死させてしまった罪を問われる集団裁判でした。
実は彼女にはある秘密があり、そのため他の看守たちから罪を一身に負わされることになってしまい、長い懲役刑に処せられます。
私はかつて付き合っていた頃そうしていたように、本の朗読をして録音し、ハンナに送り続けます。そして釈放間近のある日、数十年ぶりで彼女に会い、今後の生活の後ろ盾になる約束をするのですが…。

かつてアメリカの大学で行われた、有名な心理学の実験があります。
一切内容を伏せて集めた学生達を、くじ引きで看守と囚人に分け、監獄に見立てた地下の教室で暮らさせたというもの。徐々にそれぞれが役割にハマり、強制、体罰、拷問へとエスカレートする中、逃亡した学生の訴えによって中止されるまで、主催者である教授までもが止められない狂気の中に取り込まれてしまったという。
力を持ったものと従わされるもの。人間の内に秘めた暗黒を表すエピソードとして、よく引かれる例です。
ハンナは結果的に多くの人を死に追いやった罪は罪として認めながら、その不作為性についてだけは自身疑問に思っています。だから刑罰を逃れようと人に責任を押し付ける他の看守達とは違う態度で法廷に臨み、却って検察側の心証を悪くしてしまいます。「だったらあの時、あなたならどうしたのですか?」という裁判官への問いかけは心からの疑問だったのです。その場のその立場にあれば当然として受け入れたことを、事後になって批判される不条理。それでも失われたものの大きさゆえに誰かに背負わせるしかなく、その矛先は必ずしも正しい方向を向いているわけではないのです。
確か映画になってたなあと何の予備知識も無く読んだんですが、タイトルから漠然と感じていた静かなトーンの話とは全く違う展開になりました。ハンナの関わった事件の描写は、起訴状の淡々とした表現ながら阿鼻叫喚そのもので、あのカチンの森事件のように事の大小こそあれ、適切な表現ではありませんが戦闘以外で無駄に命を落とし、生存者がいないせいで闇に葬られた事実がどれ程あったのかと、改めて慄然とさせられました。
それはまた収容所という閉ざされたおぞましい空間も同様で、救いの来ない闇に蠢く人間関係と疑心暗鬼に歪められた世界は、実験で狂った学生達の比ではなかったでしょう。
身体の弱い子を朗読者に選ぶ事で、僅かな間だけでも苦役から救ってやったハンナの心は、その後坊やと呼んだ私に何を見たんでしょうか?

冒頭に書いたように、恐らくは言語の違いからくる感性の違いもあり、必ずしも受け止められない作品ではありましたが、何となくこの国も新たな実験材料にされつつあるのを感じる昨今、何がおかしいのか考える頭を放棄しちゃならんのだとか思ったのでした。
頭悪そう・・・・(^_^;)
 




2015年2月26日木曜日

映画音楽な晩を過ごす

夕べのクラパイはまたまたゲストをお招きしての開催でした。しかも初来日の女性お二人!
あたくしのようにいたるところでネタを拾っておりますと、また新たな出会いってやつがございましてな、おほほほほほほほ(^o^)
キャンプ好き雪好きにして、かなりヘビーな焚火好きというリコピンとナック。火を見ながら飲むのが何より好きなんて相性ばっちりですわ~。更にこういう席には何があっても駆けつける、台湾帰りのコウ様。渡航の疲れも見せぬタフなじ様であります。何?特ダネ?(^_^.)

クラパイハウス見るなり「浅草みた~い!」なんてんで。六区の方だね、そりゃ。

岩手石黒農場のほろほろ鶏白レバーと焼き用牛レバーでおもてなし。いちいち断らんでよろしい。

ナック手作り味噌に漬けたモッツァレラチーズいただいました。いろいろやってるねえ。

実は相談役?コウ様立会いの下に、エルフ女子部立ち上げ総会にする予定だったんですが、会長が間に合わずそっちは後日ということで、普通に楽しんだんであります。コウ様やけにウケてました、チッ!

さて何故映画音楽なんでしょうか?リコピンとあたしが丁度一回り年が違い、コウ様とあたしも一回り違う寅年。三人の寅でサントラ盤(晩)つ~訳ね、あはははははは。う・・・浮かれてる。
スノーシューツアーやカヤックキャンプの予定など大変に盛り上がり、歌いこうかなんて気づけば23時回っておりまして、慌てて撤収!楽しい時間は早く過ぎるもんです。
リコピン、ナック、コウ様お疲れ様でした!また遊びに来てね~!


 

2015年2月25日水曜日

エルフ東北ツアー後編・川と◯◯◯はやってみなきゃ分からんと思う

はい、それではエルフ東北ツアー後編です。
昨年さとうみが立ち上げた南三陸カヤック倶楽部の顧問的立場になり、子供達が飽きずに乗れるにはやっぱ流れに出るべしと晩秋のツアーで気仙沼近辺を踏査した結果、本来の目的をコロッと忘れて自分等の好きな川を見つけてしまいました。それが気仙沼大川。
今年の秋にツアー組むべく下見兼ねた川下りが、今回の目玉だった訳です。何せ漁解禁が三月と早い為、寒中押して2月の漕ぎとなりました。

前夜の乱痴気騒ぎの挙句寝過ごし、仙台から来てくれた府中人さんを40分も待たせてお魚市場へ。いつもホントぐみんなたい(^^;;
時期も時期だし水量次第では見るだけもあり?申し訳ありませんが酒も残り気味のこととて、ダレ気味にゴールのパチンコ屋橋へ。
あれ?去年並みに水あるぞ!ここからはカヤッカーの本能に点火!勇んでスタートの踏み切りに向かいました。
一関と気仙沼を結ぶ鉄道に沿ったこの川は沈下橋もあり、二カ所ある鉄橋は石組みの橋脚が風情ありです。見える限りにおいては全体を通しその風情の模様で、担がなくて済む程度にユルユル降って2キロ弱?ま、のんびりいきましょうやってんで。



 
ところが!最初のカーブの下にデカい岩場が現れスカウティングしてみると、どっひゃあ〜!落差といい狭さといいこれマジクリークじゃん!いや〜んモロに好みのタイプう〜!
 
 
御存知の方も多かろうと思いますが、エルフは水が怖い。そして岩が大好き。どんかなカヤッカーやねんっ?!
 
そんな我々のテンションアゲアゲに相応しいタイトな流れでした。
 







 
やるぜえ!会長の先行を見ながらライン取りを考えますが、実際やるともう流れ任せ!引っかかったり沈したりは厳禁という緊張感の中で三人とも次々にクリア。アッパーと名付けた沈下橋上のコースを入念にスカウティングしながら降ったので、結構な時間がかかりましたが、自分達で見て考えてやるというのは充実感ハンパない!まいふぁーすとでぃせんとやわあ、英語で書けよ!







 
 
後半ロアーは一転、上から見たまんまの流れ。ガリガリゴリゴリもまた楽し(^o^) 最初に降れる判断をした、道から見えるドロップはあまりのショボさにまたびっくり!
今回の会長の御託宣です。「◯◯◯と川はやってみなきゃ分からん! 」ありがとうございました。あ〜びっくりした(^^;;

川から上がってのお楽しみは、昨日食い損なった海の幸!さ、さんさん商店街に行くべし。2時に近く腹ペコでしたが、美味い宝介のラーメンも我慢して道を急ぎました。ところが…ここもまた午後の休憩に入ってしまい一軒も開いてない!うっそお〜〜(T_T)
仕方なく府中人さんとはそこで解散しました。海産も無く(;_;)
まさかの展開で全く食い物外しまくりでしたが、それ以外は出来過ぎのツアーでありました。家帰ってからお土産の生牡蠣とタコ食えたし。

つ〜訳でクリーク好きなみなさん!この秋には紅葉の気仙川と気仙沼大川ツアーやりますよ〜!お楽しみに!
ただし水量多いと出来ません。死んじゃうから(^^;;

2015年2月24日火曜日

己の内なる偏見と向き合う

本来であれば昨日の続きで気仙沼大川初降下のご報告の予定でしたが、動画を持ってる会長が多忙にかこつけて送ってくれず、催促したら速達料金が別にかかるなどと意地の悪いことを言うため差し替えのお噂になります。嘘だけど(^o^)

家から一番近いところにある某マート。手提げ袋は言うに及ばず、レジ回りやカゴに至るまで徹底的にコスト削減して価格に反映させているだけあって、大変にお安くなってます。
以前は帰り道にあるスーパーに寄っていたんですが、最近はもっぱらここを利用しています。
激安という言葉もデフレ終焉の時代にあってはやや色褪せつつありますが、企業努力の範囲内で低価格を実現するのは、不毛な消耗戦だった牛丼合戦に比べれば有意義でありがたい事には違いありません。要は見合った価格というものがそれぞれに適正であればいい訳よね。激安の殿堂だってブランド品はそれなりの扱いだし。何つったっけ、あのジャングルみたいなお店?

そりゃいいんですが、困ったことにあたしの意識の中に、商品に見合った価格がある如く価格に見合った客層というものがあるってな思いがありまして。だってさあ、ジャングルの駐車場じゃ車の停め方からして品が無く、オヤジはラメ入りジャージの上下着てカミさんは茶髪でタンクトップ、小さなその子どもは尖がらせた坊主頭で後ろだけ長髪みたいな?某マートにあんまし毛皮着た人は来ないし。
休日仕事した後軽く飲みに行くのは、中華そばのチェーン店。毎週のように通ってると見た顔のお客もちらほらと、感じ同じテイストだったりして。セットメニューの「10円お得!」がなかなか泣かせます。
 
大袈裟に言いますと格差社会の縮図を見るような気がしてる訳ですが、おそらくそれこそが己の中の偏見というものなんでしょう。前述のスーパーに行くときには一応着替えていたものを、某マートには作業着のまんま行っちゃうようになってさあ。ラーメン屋もまたしかり。
求心力を持つあるものに対してそれ自体に対する気持ちとは別に、集まってくる周縁的存在に対して抱く苦手感というものがあります。例えばジャイアンツファンに感じる寄らば大樹の陰的なものとか、首からタオル下げてシャコタン車乗り回すヤザワなあんちゃんとかね。
ま、こんだけいろいろ見てるってのは、お前も一員だろうが!って話よね。正札通りの人間ですわ。つ~か賞味期限間近だから投げ売りしなきゃ買い手もつかないってか?
はい奥さん!半額シール貼りますよ〜(^^;;

 

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