3.11直前に、福島県出身の若き研究者によって書かれたこの論文は、第一部の前提こそ難解でなんのこっちゃさっぱり分かりませんでしたが、フィールドワークによる第二部以降は具体例を挙げ、なんとか半分くらい理解できました。
例によって安直な義憤に駆られて反原発デモに通ってたあたしですが、これ読むと何だかなぁ・・・(^_^;) 将来的に止めなければならないという思いは変わらないとしても、都会の都合で原発を押し付けられた挙句、帰るべき場所を失った的な見方は考え直さなければならないかもしれません。ホント俺って底の浅い男っ!お恥ずかしい。
長文転載して怒られないかと恐れつつ、印象的な終章(震災後4.10に書かれた)をご紹介します。
ポスト成長期は、かつて忘却され、また押さえ込まれていたはずの戦争-成長の暗部が断続的に発露する時代であった。そしておそらくそれはこれからも続く。「安い」「便利な」生活を実現するグローバル化の恩恵に与かりながら、先進と信仰の軋轢の中で生まれた原理主義者の聖戦を引き受ける。若き「時代の寵児」の栄枯盛衰に熱狂しながらダガーナイフを懐に抱え繁華街を走り抜ける派遣労働者を横目で捉える。これまでの安全・安心の時代がこれからも続く事への信心を捨てきれぬままに、日常茶飯事として堂々と冤罪をでっち上げる野蛮な権力構造の暴走を目の当たりにし、そして、非西欧における特殊な近代化の達成を可能たらしめてきた官僚制と巨大資本の協奏の対極に〈原子力ムラ〉があることを見て取る。
ミネルヴァの梟は黄昏のなかに飛び立った。私たちは収束jに向かう余震のなかでも放射性物質と停電の闇がもたらす不可視な恐怖から逃げることなく考え続けなければならない。それは戦争-成長の時代がいかなるものだったのかという問いであり、それが抱えてきた陰影が明確な形をもって私たちが生きる社会に抱擁を求めてくることをいかに受け入れるべきかという問いでもある。
中略
「良心」や「善き社会設立」への意思はこのリアリティにこそ向けられなければならない。少なくとも、当事者の語ることに耳を傾けともにあることから遅かれ早かれ逃げ出すような者のなすことは、真の当事者にとっては、影響がないどころか迷惑ですらある。サイバースペースで民主主義が達成できるなどと夢想することもいいが、いくら社会の隅々まで複雑なネットワークが形成されようと、そのどこを探しても放射線などない。人が集まったなら国道六号線をただひたすら北上すればよい。「国土の均衡ある発展」を目指した挙句に誕生した田畑と荒地にパチンコ屋と消費者金融のATMが並ぶ道。住居と子供の養育以外に費やしうる可処分所得をつぎ込んでデコレーションされた車。郊外巨大「駐車場」量販店と引き換えのシャッター街のなかには具体例をあげるのも憚れるあまりにどうしようもないネーミングセンスで名付けられた再開発ビル。その中で淡々と営まれり日常。例えば「ヤンキー文化だ」「地域〇〇だ」といったあらゆる中央の中央による中央のための意味づけなど空虚にひびく、否、ひびきすらりない圧倒的な無意味さ。成長を支えてきた「植民地」の風景は「善意」ある「中央」の人間にとってあまりにも豊穣であるはずだ。
信心を捨て、そこにこぼれ落ちるリアリティに向きあわなければならない。希望はその線分の延長上にのみ存在する。
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