仮に「肝臓は生殖器官ではないから生産性が無い」という文があったとします。長い論文の一部に。
仮に読んだ人たちが口々に「臓器にはそれぞれの役割があるのに生産性とは何事だ!」と激高して攻撃したとします。
しかしそれはあくまでも一部だけを切り取って拡大したもので、全文は読んでない人たちも結構いたとします。仮に。
読んでみれば、例えばアルコール分解についてそれが先天的に出来ないという病理の問題と、お酒が好きか嫌いかという嗜好の問題とは分けて考えるべきだといったごくまっとうな意見も書いてあるのに。
だとします。
日ごろは生殖器官に関するもっと下世話な話題が大好きなのに、この手の問題になるとなぜか我こそは常識人みたいに尻馬に乗ってくる人たちが多くてデモとかしちゃって、またことさらにそれを取り上げてはみんながこう言ってますと火に油を注ぐ一方著者に対する殺害予告とかの話は表ざたにしない報道があり、寛容と多様性を錦の御旗に立てながら実は違う意見はよってたかって徹底的に叩くという。
少数派の生きづらさを語るならそっちの方がよっぽど問題なのではないかと思います。
だとします。
もちろんそもそもの表現として問題があったのは間違いのない事実ですけどね。
では毎度飲み過ぎの我が身を省みつつ久々に今日の一句です。
慎重に 過ぎた我が身を 休肝日
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