一般的に落語家と認識されるには、最もポイントの高い笑点メンバーではありますが、落語と何のかかわりも無く生きてきた若き日の太平(呼び捨て御免)。入学した武蔵美大で成り行きから落研に入り、ラジオで聞いた名人小さんの噺で目覚め、プロの噺家への道を意識しつつも普通の就職と迷っていた卒業直前、決論を出す為の旅に出たそうです。
仕立て直してもらったお袋さんの着物に雪駄履き。手荷物は「落語一人旅」と書いた風呂敷包みのみ。青春18切符を持って向かったのは東北の地でした。那須から仙台へと歩き、旅人としては人の情に触れつつも、落語の方は全く相手にされなかったそうで。
やがてたどり着いた石巻。長い逡巡の末飛び込んだ役場で紹介されたのが、ある老人ホームでした。入所者のおばあさんが、昔やってた三味線を引っ張り出して弾いてくれた出囃子。初めて人が笑ってくれた自分の噺・・・心は定まりました。日和山から海に向かって「日本一の噺家になるっ!」そう誓い東北の旅は終わりました。第二の故郷と心に刻んだその場所が、あの震災でほぼ壊滅するとは神ならぬ身の知る由もなく。
震災直後は仕事が一切なく、めったに一緒に取れなかった家族との食事をしながらも「もう落語なんてやれる国ではなくなってしまったのか?」思い悩む日々。その様子を見かねたものか、長男が「母ちゃんパンツに穴開いちゃった~。マタかい?」くだらない小噺に思わず笑ってしまった時、こんな時だからこそ笑いが必要なんだ!と気付いたそうです。
そして向かった石巻。以来たびたび東北を訪れては、様々な形で復興支援に携わってきたという。
落語の世界で名人上手と呼ばれるには、人情噺が出来なくてはならないといいます。「文七元結」「唐茄子屋政談」どれもいい噺です。実は太平師匠の高座は見たことがないのでその巧拙は知らず、いただいたご恩を返す、まるで人情噺を地でいくような話ではありませんか。(^O^)
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