その頃の歌の文句にはよく「世間」という言葉が出てまいりました。
きれいな顔には恋に疲れた 虚ろな瞳がまた似合うけど
何で世間をあなたは気にする ああ ああ 聞きたい ほんとのことを
(沢田研二 危険な二人)
とか
女心の悲しさなんて 分かりゃしないわ 世間の人に
よして よしてよ 慰めなんか 嘘と涙の沁みついた どうせあたしは噂の女
(内山田洋とクールファイブ 噂の女)
いかがでしょうか? か、って言われても困るだろうけどさ。
いずれも世間の目というか人の噂といったものを当時(昭和40年代)の人たちがいかに気にしていたかが分かりますね。「このハゲええ~!」のおねえさんの例のように未だ「世間」が」存在するのは間違いないとはいえ、ある意味有名税的なものとは違い一般の人にとってその縛りはこの40年のうちにずいぶんユルくなったような気がいたします。
思うに先日書いたような、赤信号に変わっても無理やり交差点に入ってくる車のドライバーなどは周りの目なんてもんは屁でもないのかと。
そしてこれは人の目に留まらず、誰も見ていなくとも天が見ているという罰の概念にも言えるのではないでしょうか?
いずれにせよ村社会の弊害でもありますが、自己の肥大に対する抑止力としての口さがない「世間」の存在意義は急速に薄れつつあるような気がいたします。
と
まともそうな話を書き連ねた最後にひとつ、これはすごい!という世間を見て今回の〆といたしましょう。
たとえ死んでもいいわあなたのためなら 幸せな女だと世間は言うでしょう
(殿様キングス 夫婦鏡)
すごいっすねこの世間・・・ ( ;∀;)
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