多摩川に飛び込んだとかで、上流を下ってるとはいえ同じ川を遊び場にしているカヤッカーにとっては、また別の意味でショッキングでもあります。
あ~やんなっちゃった節に乗せたウクレレ漫談で一世を風靡した人ですが、僕ら昭和少年にとっては日曜お昼の「大正テレビ寄席」の司会者としてのイメージがあまりにも強烈でした。
当時世の父親達はいわゆる高度成長期の仕事人間がほとんどで、日曜のみの休日も在宅する事は稀であり、家族で出かけるというのは特別な事でした。そんな昼さがり、家族そろって見ていたテレビ寄席で名物コーナーのバーゲンセールを絶妙な間合いで仕切っていた姿が、ビール飲みつつ笑っていた親父の姿と重なって何となくけだるい空気と共に強く心に残っています。
音楽そのものをネタにするボーイズもののジャンル以外(かしまし娘等も範疇としてはボーイズものに入ると思うんですが?)では、楽器を使った漫談芸の中でも第一人者だったと思います。ネタの見せ方のバリエーションを変えただけですぐに消費され、捨てられていく昨今の若手芸人と違いよく練られた芸でした。今でも覚えているネタがいくつかあります。
♪ 汗を流して道路工事 舗装道路もようやく完成 それじゃあそろそろ壊そうか~ 水道工事にガス工事♪
♪ うちの父ちゃんのあだ名はね~ 柱時計というんだよ~ 眉毛が七時二十分~ 下で振り子がぶ~らぶら ♪
くだらないっちゃ~くだらないっすけど・・。
特に落語家はそうですが、芸人は仲間が亡くなると逆にお祭り騒ぎしたり揶揄したりして送るものです。タコ八郎が海水浴場で溺死した時それを聞いた北野たけしが「海でタコが溺れる訳ね~っての!」 っと言ってました。その伝にならって僕もおふざけ川流で送りたいと思います。
薪なのに 信じられない 浮くれれは?
また一つ昭和が終わりました 合掌
ギター漫談やる?おーさん?
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