新シリーズ妄想歌謡曲のお時間です。
歌謡曲言うとある筋から苦情が出ると思いますが矢沢永吉さんの曲にこんなフレーズが
俺に人生賭けてくれてありがとう 夢で出来た男を支え続けた人
もしもも一度生まれ変わることがあれば 同じ俺を生きるだろうまたお前と
「夢で出来た男」故人を揶揄して申し訳ありませんがちょこっとワインについて学んだだけで血管にブルゴーニュが流れていると言っちゃったある方を思い起こさせます。
そして「同じ俺を生きるだろう」いずれも自分について外側から第三者的語り口を用いるあたり「ヤザワ」を一人称にするのと非常に親和性が高いと言えましょう。
もっともこれは周囲が望む矢沢像に己をシンクロさせているだけであの方の実際がこうであるというわけでは恐らくなく、それを感じさせずに演じきれるのがスーパースターの条件であるとも言えましょう。
覚えてるかお前の19のバースデー 指輪一つ買えずにバラードをギターで弾いた
夢の他には何もなかった俺の 胸で幸せだよと泣いた笑顔忘れない
人生賭けた割にまだ19かよ! 過去形とはいえ。
あの界隈の方々の年齢が若年層に偏って分布しているのはままあることとはいえ、この手が有効なのはせいぜい19まででありましょう。
二十歳過ぎて歌のプレゼントだよんなんて言われたひにゃあ「この甲斐性なし!」と出奔されても致し方なし。
問題なのはどうもこの男の言う「支える」とは「食わせてくれる」と同義語と思われることで、夢が具体的になんであるかは語られずともそれに向かってストイックな努力をしている匂いは感じられません。
その点同じく国民的歌手であった(ヤザワはシンガーと呼ばれたいでしょうけど)村田英雄さんの「夫婦春秋」は同じ年周りのカップルであっても
ついて来いとは言わぬのに黙って後からついてきた 俺が二十歳でお前が十九
下げた手鍋のその中にゃ 明日の飯さえなかったな
「手鍋下げても添い遂げる」という慣用句は女房が家の切り盛りをし男は外で稼ぐ役割担当を表しており、口じゃあ夢だなんだ言いながら女に貢がせてぶらついてる男ではありません。
あれかなあ、皮ジャンリーゼントのイメージがそう思わせるのかなあ?
ここでチェッカーズ「アイラブユーさよなら」の二人を見てみましょう
お前は何も言わず俺の夢を抱きしめ 小さなバッグに二人全てを詰め込んだ
皮ジャンのポケットにこっそり金を押し込み 似合わない服を着てお前はネオンに消えた
これも女の子(なんとなく年上感あります)に夜の町で稼がせる皮ジャンの夢追い男を歌ったものではありますが
もう俺の為に笑うなよベイベー 嫌いというしかなかったよベイベー
アイラブユーだけど アイラブユー さよなら
と、彼女の未来のために身を引く誠意だけは残していたようであります。
それに反し冒頭の男は生まれ変わっても付きまとうつもりですからね~、タチ悪いわ~。
さてその後二人はどうなったんでしょうか? 村田先生の方は
やっとおいらに日が射した あの日涙をこぼしたな お前
地道な努力が実を結びめでたく立身したようであります。よかったよかった。
だけどヤザワの方の男はそうはならないんでありますよ。
何故か?
だってねこの歌のタイトル「バラードよ永遠に」だもの~!
ずっとやってる気だよ ( ;∀;)
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