鳥の雛は卵から孵って最初に見たものを親鳥だと認識するというのは広く知られた話で、自分が親から育てられたようにしか子育てできないのもその線上にあるのかもしれません。
虐待の負の連鎖なんて嫌な話も同様でありましょう。
板橋に越してきた小五の頃は今と違って弊社周りにはたくさんの家や会社がありました。
昔から子供好きだったもんで隣のアパートの年少の子供らとよく遊んだもんで、中でもマー君という子を結構可愛がり向こうもお兄ちゃんてんで懐いてくれておりまして。
ある時お兄ちゃんとお泊りしたいというのでその子の家へお呼ばれしたんですが昔のこってすから一間だけに一応風呂と小さいキッチンが付いたくらいの狭い作りで、それでも一緒にお風呂入って晩御飯となりました。
そのお母さんは子どもの目から見てもガサツ者と言いますか普段から家事などほとんどやらないタイプで、それでもはしゃいでいる我が子を見て頑張って作ってくれたもののようでした。
お米炊いたことなかったのかなあ、べちゃべちゃでねえ~ ( ;∀;)
あたしダメなんですよこういうの~ "(-""-)"
けれどもやはりはしゃいでるマー君の手前もあり、お母さんへの気兼ねもありでおかずのシーチキンにしょう油ぶっかけて無理くり流し込んだようなことで「美味しいです」なんて泣きそうでありましたよ。
ありゃあいまだに忘れられないなあ。
先日あるところで食事して〆にご飯頂いたんですがあろうことかべちゃべちゃの芯硬でございました。
他の料理はものすごく美味しくて腕がいいのに何でご飯だけこんななんだ?
も、もしかして君はマー君か?!
んな訳ゃないっすけどね、この人のご母堂もこういうご飯炊いていたのかなあ?と。
今日のひとり万葉集です
硬飯を 好いて童と なりにけり 老いてべちゃべちゃ 飯じゃないけど
注意事項:読者の方で何の話か想像がついても、そこはコメントで触れないようお願いいたします。
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