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2015年8月4日火曜日

生の声に思う

一年一度の大一番、カヤックイベントが無事終わりほっとしていると同時に一抹の寂しさも感じております。待つのが祭りとはよく言ったもんで。
毎度申しますようにあたしはボランティアではありません。遊びに行ってるだけですから。ボランティアとは今でも汗水流して現場で肉体労働している人たちの事だと思います。もちろんそれ以外にもいろいろな形で関わってる人たちも大勢いますが、イメージとしては分かりやすいですよね。
そんな人たちから言われるのが、作業に特化してやってるとかえって地元の人たちとの触れ合いが無いという事なんです。
以前ボラバスで仙台の瓦礫出しに行った時に実際感じましたが、システマティックで安全に作業できるよう良く練られたカリキュラムである故に、大きな流れの中にいるような感じ。川下りで言うと本流まっすぐノンストップでエディ取らないといいますか、岸辺の事は見えないみたいな?分かんないよね?(^_^.)
あたしらは逆にお触れ合いばっか。飲んで歌って一緒に踊ってという。実際の役には毛ほども立ってはおりませんが、少林寺ナオミなどからその辺は羨ましいとよく言われます。
そんなお触れ合いが今回もいくつかあったので、何となく雑感です。

空いたカヤックに親御さんも乗り込んで一緒に漕いだ中に、明らかに素人でないパドリングの人がいました。なんつ~と、んじゃお前は玄人かよ~?と突っ込まれそうですが、ま、そこんとこは置いときまして。
聞けば元は地元のシーカヤッカーでツアー中心にやってたそうでして、舟から何から一切を津波で流され震災以来初めて漕いだと。お子さん三人が参加していて奥さんもやってたというので、ぜひまたカヤッククラブの方にも来てねとお誘いしました。こういうのもまた嬉しいお触れ合いっすね~。

イベント済んで打ち上げを待つ間ぼちぼちオヤジ連中で飲み始めてましたら、籠を抱えたばあちゃんが通りかかりました。
「こんちは~、ばあちゃん何獲って来たの?」なんてんですぐに話しかける悪い癖。
「きゅうり獲ったんだ、ほっとくとデカくなりすぎるからな」
「おお!ちょっとちょうだい!」
「全部やっからもってけ」なんてんで。


洗って食ったら甘くてうま~い!獲れたてなんてなかなか食べられませんもんね(佐賀弁)
いろいろ聞いてみたら直売所の立つこの場所の地主さんでした。あたしらの座ってるとこはわかめの乾燥小屋だったところだそうで。え?ってことはここまで津波来たの?

ここまで?

というか見渡す広い敷地全部がばあちゃんの家だったそうで、昭和24年の津波の体験者の長老がここまでは水も来ないと言うので当日は立って見てたそうです。そしたらみるみる津波が押し寄せてさらに高いところまで慌てて逃げ、家屋敷は全部流されたけど家族はみんな無事だったと。
着物などを保管するための小屋があったのでそれからはそこに住んでたけど、日が当たらないから寒くって大変だったと。今では建て直して家らしくなったけど、やっぱここがいいなあって。
「何でここに建てないの?」
「津波くっから建てちゃいけね~んだって」

「だって防潮堤できるんでしょ?だったらいいじゃんねえ!」
「あんなもん要らないから海見て暮らしたいよ」

なんかおかしいよね。これ。復興と言いながらお上は住んでる人の事考えてないんじゃないのかな~?
とかきゅうりかじりながら思った次第です、頭悪いくせに・・・

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