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2023年1月11日水曜日

行き場を失った情熱を考える

先日坊主の独立の話を書いた時子ども部屋おじさんについて触れましたがなんちゃらおじさんという呼び方は昔からあり、あたくしが子どもの頃になんちゃっておじさんってのが流行りました。

電車で一人ぶつぶつ言っては最後に「な~んちゃって」と繰り返すおじさん。
うるさいと文句を言われるとシクシク泣きだし、文句つけた人が下りた直後ウソ泣きやめると両手で大きく輪を書きながら大声で「な~んちゃって!」
ラジオの深夜放送の投稿に端を発し「俺も見た!」「わたしも見た!」とネット誕生以前の時代に口コミで大ブームを巻き起こしたという。

思うに「おじさん」というちょいお間抜けでありながらなんとなく親しみある響きの呼び方を接続することにより、ある現象なり行為なりが解毒された形で一般化されると申しましょうか。
その後これを逆手に取って親しみやすさをアピールした「令和おじさん」のような見苦しいマッチポンプもありましたけど。

ピアノ初めてクラッシックコンサート行くようになり、そこで「ブラボーおじさん」なる存在を知りました。
これは演奏の終わりに真っ先に「ブラボ~!」と声を出すことに命を懸けているごとき人のことで、長大な交響曲などで楽章の合間ではなく最後の一音まで熟知しているぜわたしって奴は!とアピールする通ぶった方を揶揄する呼び方だそうであります。

いそうだな~ ( ;∀;)

例の流行り病が沈静化しても相変わらず声出しを禁じているライブなどが多い中で、特に意識高い系であろうクラッシックコンサートはその傾向高く思われ、したがってこの手のおじさんたちは生きがいを失ってさぞかし切歯扼腕していると思われます。
あのウィルスの弊害はこんなところにも来ておりました。

ちなみにこの方はそれではありません ( *´艸`)






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