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2017年12月5日火曜日

読後感する・ビートたけし「浅草キッド」



噺の方に出てくる川柳に 

 太鼓持ち 挙げての末の 太鼓持ち

というのがあります。散々遊んじゃって食い詰めた挙句芸人くらいしかなれないという。
昔はそんなもんだったんですな。今じゃ大学出て養成所行って芸人目指そうなんてんで、あたしゃそりゃタレントであって「芸人」ではないと思うんであります。

この本はそんな「芸人」のおそらく最後の世代であるビートたけしさん(以下敬称略)が、昭和四十七年大学を中退し浅草フランス座に芸人志望のエレベーターボーイとして入門するところから始まる青春記であります。
たけしにしたところで当時のフーテン世代にあぶれて新宿辺りから逃げてきた「でもしか」芸人志望であり、更に言えばあまりにも大きな母親の愛情からどうにか抜け出そうとあがいた結果であったと思われます。

当時の浅草は完全に時代からとり残されており、かつて鳴らした師匠の深見千三郎もストリップの合間のコントで細々食いつないでいるような有り様。それでも先輩芸人や気のいい踊り子たちに囲まれての日々に、初めて自分の居場所を得たたけしは貧乏ながら生き生きとタップにコントに励んでおりました。
そこに入ってきた作家志望のいのうえとの友情、大きく構えてはいても実は寂しがり屋の深見師匠との浅草暮らしが三年を経る頃時代の風はたけしに吹いてきます。
ツービート結成後は十年に一人の天才と評されるまま一気にスターへと駆けあがり、その後紆余曲折はあったものの現在の地位に至っております。

愛されて育った人間にありがちな甘え上手と遅れてきた青年の熱心さで可愛がられたたけしは、下に付いた期間の短さに反して深見師匠から受けた薫陶が非常に深く、粋でおしゃれで身銭を切ってでも見栄を張る浅草芸人気風と同時にどこか哀しい老いた道化者の背中は、大御所となった現在もかぶり物に頼ってしまうシャイな姿によく表れております。

「よくあれだけヨタならべられるもんだ」とコントのアドリブについて言っていた深見はおそらく早い時期からたけしのしゃべりの才能に気付いていたと思われますが、それは彼の芸の本筋からは外れたものであり中途半端な修行で手っ取り早く売れようと漫才に走る他の若手のようにになって欲しくないと願いながら、いつまでも手元にはおけないという寂しさも抱えていたのではないでしょうか。
実際切れ味鋭い舌鋒を速射砲のように繰り出すたけしの漫才は衝撃的ではあったものの、同時期頂点を極めたやすしきよしのような間と話芸で繰り返し聞いても笑いに堪えるというものではありませんでした。
生意気言ってスイマセン ( ;∀;)

一度も褒められることなくタバコの火の不始末で孤独に死んだ老コメディアンへの哀惜が、今もたけしの心にどっかりと座っているような気がしてならない読後感でありました。

では今週の一曲。これしかないっすねビートたけしの名曲「浅草キッド」
ちなみにここに歌われているのは、他の人が書いているように二郎とコンビを組む前の相方ではなく初めて同じ志の下に青春時代を分かち合ったいのうえのことでしょうね。本読めば分かるけど。






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