お茶々が来てからお世話のため極力泊りを避けておりまして、会社で七輪のクラパイが全く開けないための憂さ晴らしとでも言いましょうか。当の彼女はそんな気も知らず、食材とみれば鼻づら突っ込んで隙あらば盗み食いしようという。
おまけにここ数日続けて流しにう〇こしやがりましてね、水洗でいいじゃんつったら坊主にそういう話じゃないと叱られました (;_;)
さて、今回たまたまスペシャル素材が二つもそろいました。昨日捌いてさとうみ牧場に送るわかめ羊の切れっぱと、岩手石黒農場発ホロホロ鳥白レバー。どちらも白木屋さん黒木屋さんでくださいちょうだいと言っても手に入らない品物だよお立ち合いっ!
よういちお勧めのアルプス岩塩が切れちまったので赤穂の粗塩と擦りたて黒コショウで頂きました。おうちで食べるとまた一味ちが~う!
連続写真(^O^)
特に白レバーは薄切りにしたのでちょい焙ってレア。
レアものをレアでいただく?あははははははは最高っ!羊さんの美味さはいまさら言うまでもありませんね。食べたかったら一緒に牧場行きましょうよ~('◇')
そんなこんなでお茶んと二人ささやかな贅沢を楽しんだんであります。
でね。しみじみ思うんだよね。生まれた国や時代によってこんなにも違うのかと。
別段札びら切って山海の珍味や千人の美女に囲まれてるってんじゃないけど、これは明らかに生きるために食うことの上いってる訳じゃないすか。
昨夜文化放送聞きながら帰る時、詩人のアーサー・ヴィナードが長崎原爆をたどる番組やってまして。戦争負けたから大っぴらに言わないけど、あんな酷い大量虐殺は他に例を見ないと思います。ましてやそれが人体実験であり、おまけに膨大な開発費を言い訳する意味で戦術的には必要なくとも落とさざるを得なかったなんてこと知りますと、亡くなった方はそれこそ死んでも死に切れないよなあとね。(T_T)
でね。黄色い猿の東洋人相手だから平気でやれたと今まで思ってましたが、もし日本が持ってたらやっぱりやったろうなと気づいたりして。
してみると悪意や差別の有無にかかわらず戦争やっちゃったら普通は感じてることも感じなくなって、勝つための必要最小限なんて関係なしにどんな酷い事でもやっちゃうんだろうと。
最低限の食い物も無く、光に溶かされ爆風に焼かれて殺されていく人たちが今も変わらずいて、それが酷い事だと感じなくなってる今はやっぱ狂ってます。前の戦争から何学んだんだよっ?!
すっかり長くデカい話になっちまいましたが、これも文化放送で吉田照美が紹介してた故・菅原文太夫人が琉球新報に寄せた文章です。名文です。刺さっちゃったんで無断掲載です。
フランスの悲しみや怒りを世界に届けるメディアは数多くある。彼らの声は大きく、よく響く。悲しみの場所に花束が集まり、ローソクの灯が連なる。その明るさは遠い日本まで届く。ビールやワインを片手に、存分に語り合う自由も、そこにはある。 しかし、多くの市民たちを殺害し、自らの若い生命もその場に捨てたイスラームの人たちの声を届けるメディアの声は、あまりにも小さい。だから私たちには、世界の半分しか見えていない。半分は明るく、半分は暗い半月を見るようだ。
欠けた半月の暗闇に生きる人々の声が伝わらない限り、犯人たちの母や妻、きょうだいや子供たちの悲しみと嘆きが聞こえてこない限り、私たちは明るい半分の月が伝えることのすべてが真実なのかどうか、信じて良いのかを決めることはできない。
半月の暗闇では、パリでそうであったように、倍返しの空爆で殺された人々に花束が積まれているのか、ローソクが惜しみなく燃えているのか、かつて私たちの国の暗い戦争の時代に、妻や母や子が、夫や息子や父の死を悲しみ嘆くことが許されなかったように、半月の片側では今も許されていないのか、有無を言わせず赤紙一枚で戦地に引き立てられていったように、同じように命じられて死んでゆくのか、それらを知ることなしに、安全な場所から明るい半月の片側にだけ花束を捧げることはできない。
そこにも富と自由が、ここと同じようにあるなら裁きのつけようもあるが、富も自由も乏しいなら、私たちはそれを痛み、悲しむことしかできない。アジアの辺境の島国から届けるのは爆音ではなく、平和への願いと祈りであり、それを力強いものにするために戦っている者たちが少しでもいるという希望だけだ。
大国の軍需産業の強欲の前に、世界の理性と叡智(えいち)は声もなく色褪(いろあ)せる。テロに軍事力で臨む時、その爆音の大きさに大義は吹き飛び、憎悪と復讐(ふくしゅう)の灰が地にも心にも積もり続ける。
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