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2015年12月1日火曜日

灯と影に想う

水木しげるさん亡くなりましたね。病を得たとはいえ、93歳なら年齢的には大往生と言っていいんじゃないでしょうか?

たいていの方なら目玉おやじの「鬼太郎っ!逃げるんじゃっ!」を一度はもの真似した事があるでしょう?あたしゃ子供の頃白黒テレビで見た「悪魔くん」は洞窟からエロエロエッサイムの呪文が流れるオープニング、怖くて見られませんでね。「河童の三平」の地獄転がし、恐ろしくて夢までに見たもんです。

頭抜けた代表作がありながらも作風的には今様とは言い難く、忘れ去られても不思議ではない中で時代時代にブームが繰り返し訪れ、最晩年にはドラマ化されるなど本人曰く年を取るほど忙しくなるという不思議な人でした。それは一にかかって生涯のモチーフであった妖怪というものが、日本人の中に深く根差したものだったからではないかと思うんであります。

かつて人々の暮らしは闇に囲まれておりました。家の中でさえわずかな燈火の届く他は暗く塗りつぶされており、いわんや村々の辻、出外れた墓場、人の棲む世とは別に魑魅魍魎の跋扈する世界がすぐ隣に存在しました。
妖怪もやはりその住人でありながらも怨霊の様な禍々しいものではなく、例えば使い古された唐傘であったり擦り切れたボロぞうきんであったりと、出自からしてどことなくユーモラスでなにやら年寄りの語る昔話の教訓めいて、それは光の元が物の燃える炎であってみれば作る影にも血が通っていたという事ではなかったかと。
神道の始まりよりも仏教の伝来よりもはるかな昔から、一木一草にも宿る八百万神のこの国の光と闇の間にひっそりと、時に賑やかに息づいて来た存在。それが妖怪たちだったのです。
住んだ経験も無いのに囲炉裏を見るとどこか懐かしい想いが湧くように、我々の心の中に彼らは知らずに同居していたのでしょう。

とはいえ水木しげるの原作はもっとおどろおどろしくある意味深く思索的で、そんなにノスタルジックな世界ではありません。けれど墓場の鬼太郎がゲゲゲの鬼太郎に改められアニメ化される時、他の例に漏れず毒気を中和され子供の鑑賞に堪えるように一般化される中でより親しみやすいヒーローに作り変えられたのは、放送というものの宿命であり作者の意図とはかけ離れていたかもしれませんが普遍的なキャラクターとして今に至るまでその後を生きながらえた事を思えば、かつて南方の孤島の戦場でカナリアの群れに目を奪われた一瞬の偶然で、小隊の仲間の中でただ一人死を免れた水木氏の不思議な幸運が、彼の作り上げた主人公にまで続いていたのかもしれません。

今や光源はLEDと変わり闇の占める範囲は劇的に小さくなりましたが、それは何の熱も持たず、人の心を伴って深く冷たく、妖怪たちの住む余地も残さぬ冷酷なものになってしまいました。
鬼太郎の妖怪退治は殺すのではなく元の姿に戻す事です。世界を分けあって共に暮らす事です。
大きな足跡と記憶を残してまた一人逝ってしまった昭和の人物と共に、大事な何かがこの国から消えようとしています。

ともあれよくぞ描き切った人生を讃え、山紫水明の故郷に向けて追悼の一句です。

 よう描いた 水清くして 葉も茂る

合掌
 
 
 





 

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