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2015年9月1日火曜日

馬道に思う

落語の噺に「付け馬」というのがあります。あるいは「早桶屋」とも。
江戸から明治にかけて吉原隆盛の頃、粋人でお金のある人は馬に乗って出かけたそうで、中でも白馬に乗って行くというと大変に押し出しが効いたそうですな。今の馬道という地名はその習慣の名残だそうで。
ただし見栄だけで一晩遊び勘定が足りなくなった場合には乗せて行った馬子さんの係となりまして、家まで馬と一緒にツケを取りに行っては外に繋いでおくので「おい見ろよ、熊の奴また馬引っ張ってきたぜ!」なんてんで。
少し時代が下りまして馬に乗る時代でなくなっても言葉だけは残り、女郎屋の若い衆が客についてツケを取りに行くのを馬、付け馬と呼ばれたんであります。彼らは前の晩客引きしている時には牛とか牛太郎とか呼ばれ、ですから牛が一晩明けると馬に早変わりという訳で、ずいぶん年季を積んだ人でも時にはたちの悪い客に卷かれちまうなんてことがあったようで。

おじさんが廓内の店に貸した金を取りに来たという触れ込みで登楼した男。その金で勘定払うという話だったのですが印形を忘れたと言っては店から出て、朝一から出銭では先方に悪いから湯にでも入ろう、腹が減ったから湯豆腐で一杯やろうなどその度付け馬から金を巻き上げます。その挙句田町のおばさんから金を借りると言ってとうとう廓外まで咥え出してしまい、雷門をくぐって仲見世へ。
いい加減怒り出した馬をなだめ、谷中で早桶屋(棺桶屋)をしているおじさんの店へ。
実はこれが真っ赤な嘘で、赤の他人である早桶屋にはあそこで待ってる男の兄が急な腫れの病で亡くなり、身体が大き過ぎるので特注で拵えてくれとひそひそ頼み、馬には大声で「なあ!おじさん拵えてくれるとさ!あたしは脇に買い物があるから後でな」ってなこと言ってずらかってしまいました。
出来上がった段になってそれと気づいた馬ですが既に後の祭り。早桶屋こそいい面の皮で、手間負けとくから木口だけ払えといっても馬は馬で取られちまって金が無い。
「おい、奴っ!ナカ(吉原)まで馬に行って来い!」馬が馬を連れて帰ったという(圓生のサゲ)

嘘ばかり並べる男とだんだん不安になっていく間抜けな付け馬のやり取りが聞きどころですが、雷門から仲見世にかけての描写が昔の浅草の賑わいを良く表しています。
嘘ばっかりといえば最近の関西でもそんな人がおりますな。二万パーセントだとか負けたら辞めるだとか言いつつなにやら再編とかで蠢いてるけどさあ、当初の勢い無くなってみると剛腕ばかりで赤心に欠けるといいましょうか。なんかかなりの厚顔無恥って感じ?

上方噺「舟弁慶」の中で下手くそな浄瑠璃に飛ぶ野次「おけおけえ~!やめとけえ~!」
おけ、とはこちらの言葉でいうやめろのようです。
今日の似ている川流です。

 早桶屋 馬付き通る 雷門 と 早よおけや! うそつき徹 かなりなもん は似ている。


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