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2021年9月22日水曜日

勝手に切り張りして怒られないかと思う

 敬老の日は敬老とは全然関係なく、国立美術館のゴッホ展に行ってまいりました。

久しぶりに晴れた上野の森は気温は高いものの、秋らしく湿り気のない気持ちの良い空気でございました。

この騒ぎの中入場も事前予約の時間制で、以前ダヴィンチの「受胎告知」を諦めたような大行列もなくスマホ画面の入場券など実にスムーズでございました。


ご承知の通りゴッホという人は生前ほとんど絵が売れなくて、死後十年以上を経て急速に評価が高まり今では一枚百億円を超えようかというとんでもない人気画家になっております。

今回の展示はごく早い時期からその才能に魅了され個人としては最も多くの作品を持っていた(その後国に寄贈)ヘレーネ・ミュラーというオランダ人女性収集家のコレクションからのものだそうで。

その出会いだけで一本の映画になったようなドラマがあります。


今回予習して驚いたのはゴッホが絵を描いたのは27歳から自死を遂げた37歳までのわずか十年間ということで、特に子どもの頃から絵を学んでいたわけでもなく、叔父の会社で画商を、父の後を追って聖職者をとどれも続かなかった末言ってみりゃしょうがなくて絵描きを志したという。

なんですか極端に振れる性格だったようで、画商の時は大した作品でもないのに高値を吹っ掛けるやり方に反発して安売りしちゃったり、聖職者見習の時は貧しい人たちに自分のものをあげちゃってどっちが貧民だか分かんないような姿になっちゃったりと、その度仲間から浮いてしまいいられなくなったらしいです。


三年間素描で基礎を学んだ後本格的に油絵を始めた初期の作品は、バルビゾン派に憧れて農民や農村の風景が多くいかにも土着という感じの暗い画面でありました。

じゃがいもを食べる人たち


その後パリに出て当時売り出し中だった印象派と出会い、更に万博後ブームが起きていた日本の浮世絵を知ったころから一気に光を取り入れた画風へと変わりました。

レストランの内部


アルルに移った彼は印象派の画家たちのようなコミュニティを作ろうと、父に頼んでその拠点となるべき黄色い家を借りまして。

あふれるような太陽光とその陰の中、だれが見てもゴッホ!という感じになってきますね。


この希望に燃えていた時期に描かれたのがあの「ひまわり」だったそうです。


そして人気のこちら

夜のカフェテラス

ヘレーネさんが最も愛したという「レモンの籠と瓶」

ところが結局誰も集まらず、たった一人やってきたゴーガンとも性格の不一致で刃傷沙汰に。発作的に耳を切り落としてしまったり。


それをまた絵にしちゃうあたり、結構キてます ( ;∀;)

このあたりから精神衰弱の発作が激しくなり自ら施設に入院。

サン・レミ治療院の庭

今回の目玉「夜のプロヴァンスの田舎道」

そして退院後移り住んだ南仏の小さな村で拳銃自殺による最期を迎えるのです。

カラスのいる麦畑


まさに炎の天才と呼ばれるに相応しい駆け抜けたような人生で、作風からも情熱の赴くまま一気に描き上げたような印象ですが、良き理解者であり後援者であった弟のテオに宛てた大量の手紙が残されておりそれによると、次回作の構成や配色など事細かに書かれており一枚一枚綿密な計算の上に描かれたものであったことが分かるそうです。

なんか意外ね。

展示後のグッズコーナーも賑わっておりまして、絵はもちろん何でもゴッホ!

まさかゴッホ饅頭はないだろうと思ったら、ポテトチップがありました ( *´艸`)


ゴッホ展とっても良かったんですけど、欲しいと思いますね~鑑賞眼。

芸術を芸術として理解できる目ってホント欲しいですわ。





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