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2018年6月8日金曜日

愛は液状であろうと思う

子猫の頃は帰宅してしばらくの間あたくしの顎やら頬やらに吸い付いてチュパチュパするのを歓迎の?儀式のようにしていたお茶々、坊主の夜勤が始まった最近またぶり返してきまして、お留守番の時間が増えたので寂しいのかしらと。


懸命に手と口を動かされておりますとなんとも愛おしさがこみ上げてきて、実にムネキュンもの。
そりゃいいんですが首に爪を立てながら吸う合間に噛みつかれますと、やや身の危険も覚えるんであります。

先日ニュースでロシアのザキトワ選手のもとにようやくご褒美の秋田犬がやって来た映像を流しており、しきりにお顔をなめまわす様子が微笑ましかったんであります。
そこであたくしお茶々の件と考え合わせ、ふと愛は液状であるということに思い至りまして。

吸ってもなめても出てるものは分泌物ですからな、言ってみりゃおよだと同じなわけです。
それをバッチイと感じない、というより逆にそのことによって胸に湧き起こる心情こそが愛というものではないかと。さらに言えば生命というものではないかと。

だってさあ、アイボが進化してもしなめなめ機能が付いたとしても、それを嬉しいと感じるよりこの液体何だろうと先ず思うと思わないすか?

 
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