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2024年7月22日月曜日

茶々帰る

 六月から七月にかけてどういう訳か身の回りによくない事ばかり起こりまして、最後に親父が亡くなって打ち止めになるだろうと思っております。

ならなきゃ困るし。

そんなこんなで上の坊主の家に預けっぱなしになっていたお茶々さんをようやく迎えに行くことが出来ました。

二人とも動物好きだし特にお嫁さんはペットトリマーやってるくらいで何の心配もなく、水や餌の心配も夏場の室温管理も猫砂ばら撒きも毛だらけも何も無くて楽なんだけど、手がかかろうが何だろうがペットがいる安らぎには代えがたいもので。

いきなりまた写真が増えました!


安らぎとは違うけれども潤いという意味でアイドルによる一日警察署長なんてものがありますな。

強面のサツカンの中にかわいらしい女の子が制服着て巡回なんてますと実に微笑ましいもんで。

なのにさ


こないだ埼玉県警の交通安全指導出発式に故・渋沢栄一翁のそっくりさんが呼ばれたってんで。しかもそっくしさん大会三位までの三人。

新札でまた話題とはいえようするにただのおっさんですからな。

しかもそもそも似てるんだかどうだかろくすっぽご本人を知らないわけだ。

どうせ見送ってくれるんならそりゃ女の子の方がいいだろうって。

でも映像としては笑えました ( *´艸`)










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2024年7月20日土曜日

それぞれの存在に意味を見出す

毎朝三田線の某駅前を4時20分頃車通勤の途中通過するのですが、まだ閉まっているシャッターの前に必ず立って待っているおじさん(年下かもしんないけど)がおられます。

それもほとんど顔が接するくらいに近く何人たりとも俺の前には入れさせない!という気合を感じるんであります。

割とラフな格好でサラリーマンって感じではなく、でも通勤には違いないんだろうなあと。

調べてみると意外なことに時刻表はあっても駅に入場可能となる時間についてはどこにも書かれておりません。

始発が5時4分となっており少なくともその30分以上前にはおじさん立ってるという。

その方は経験でご存じなんだろうけども一般的にシャッターが始発の何分前に開くかは知らず、そういや「クレヨンしんちゃん」の幼稚園の先生にスーパーの開店と同時に先頭で入っては並んだ店員さんの低頭する姿に満悦し「開店時の女王」なる異名を持つ方がいらっしゃいましたが、まさかに駅員さん並んでいるはずもなく単なる自己満足かとは思うもののチラ見するだけの姿に何やら思いつめた様子も感じられまして。

何であれ生きがいというならそれも良し。

でも変なの ( ;∀;)



 男は最初の男になりたがり女は最後の女になりたがるという言葉がありますね。

考えて見ればそもそも生殖からして一番乗りの功名が絶対であってみれば男がそれを希求して止み難いのも無理からぬことで、先日都知事選で落選された白いカミツキガメなるあのお方のかつての名セリフ?「二番じゃダメなんですか?」はやっぱダメなんですわ。

カメだけに。


いずれににせよ 

♪ ナンバーワンにはならなくてもいい もともと特別なオンリーワン ♪

ってあの歌流行ったけどどうにも違和感あるんであります、あたくしには。

やる前からそれ言っちゃっちゃ単なる逃げでしょうと。

てっぺん夢見てダッシュした結果どうにもならないことを知るからこそ挫折にも意味があるわけで、最初から歩いて別ルート行くなら「ウサギと亀」の寓意はどうなるんだ?

カメだけに。

恋愛はコスパ悪いなんつって人を好きになるという極めて自然な心の動きにすら蓋をして涼しい顔を装う、あの不自然さに通ずるものがありますな。

ま、60過ぎて惚れたはれたいまだに騒ぐあたくしには理解できませんししたくもないわ!


シャッターおじさん、大事なこと気づかせてくれてありがとう!



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2024年7月18日木曜日

3500回記念号をお届けする

 ご愛読いただいているみなさん!(いるのか?)ニッコーニッキーは今回をもちまして何と!3500回となりました~!!

2011年開始ですから足掛け13年、毎年平均270話書いていることになります。

才谷屋三年寿命説というのがありまして、何やってももって三年と言われているあたくしがよくぞこの長きにわたり書き続けてきたものであります。

ガキの頃から書くのが好きなんすよね。学生時代アルパインカレンダーに書いてた三行絵日記も四年続いたし。

先日都の緑地課の方とお話する機会があり「社長のブログ面白いですね~、もっとお若い方かと思いました。何が一番と言って継続されてるのがすごい」と、褒められてるんだかどうだか微妙な言い回しではありましたが。

まああれっすよ

会社のパソコンの前に座ってられる暇人だからってのが一番の要因でありましょう。


オリンピック直前のパリでトライアスロンや遠泳に使う予定のセーヌ川の水質が28回の検査中25回不適になったのを受けて、ここ数回はパスしたってのをアピールしようと市長や大会局長が泳いで見せたと今朝のニュースでやっておりました。

見た目だと水汚っいけどね。

その後みんなでお腹壊したとかいう事になったら面白いと思いましたけど、嘔吐の方がありそうか。

サルトルの国だけに ( *´艸`)


と、まあ毎度このようにど~でもいいような与太話ばかりですがこれからもニッコーニッキーをよろしくお願いします!



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2024年7月16日火曜日

イラスト復活する

 暗殺されちゃうんじゃないかと心配してたらやっぱりこういう事に ( ;∀;)

それにしても実にどうも大したもんですね~!

鉄砲で耳撃ち飛ばされてまだ弾が飛んでくるかもしれないって時にあれはできませんわ。

普通はSに囲まれて頭上げないようにしながら車に駆け込みますよね。

あの根性の座り方はハンパないっす! 惚れ直したわ。

あとあの写真!

ピューリッツァー賞取るかもね。

無理か。メディアみんな向こう側だから。


元気出て来たんでイラスト復活です。



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2024年7月12日金曜日

一目で分かる

 古い日本映画を見ますと知ってる場所の今昔が分かって興味深いんであります。

先日おススメに上がって来た(なぜだ?)日活の「ああ青春の胸の血は」を見ておりまして、大学のボート部の選手と貧しい女工が恋に落ちるものの暗い過去を持つ彼女の取り巻きが邪魔してああなったりこうなったりという。

64年制作というから東京オリンピックで戸田のボートコースが出来た頃かと思われただ練習は主に川、どっかで見たことあるなあ、荒川かしら?

で、そこにかかる橋の橋げたの接地部分が映った瞬間「おお!ここは!」

まぎれもなく我が秘密基地!!

小学生の頃あたくしが主宰していた少年探偵団「カートマン」(ザ・ガードマンが流行ってたから)が秘密基地にしていた旧戸田橋の下でありました。

橋全体が映ると特徴ある緑色の鉄アーチが見られたもとにあった牛乳屋さんまで、うわあ~懐かしい~!

とうに忘れていたその当時の事があれやこれや甦ってまいりました。

一目で分かるってあるんですね。


でまたこないだね、フェイスブックの知り合いかも?にあったにゃんこの写真を見て「あれ?お茶々さん?」と。

誰だか見たら上の坊主でやんの。

猫なんざみんな同じような顔してて見分けつかないと思いきや、やっぱ自分の飼い猫って分かるもんなんですね。


すったもんだで坊主の家に預けっぱなしのお茶々さん。

もうじき迎えに行くからね~!




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2024年7月11日木曜日

学籍番号と生きる

この仕事に着く前プリマハムの竹岸食肉学校に半年おりました。

名物校長坂本自由児先生率いる同校は現代社会においてハングリーを教えるには時間で縛ることであるとされ、厳しいことで業界に知られておりました。

だから全寮制。

しかも創設当時のままの古い畳敷きの部屋に男六人で雑魚寝!

我が51期は10号室まであったかな?あたしゃ6号室。

起き抜けの点呼、ランニング、体操でスタートする一日は午前中実習でマトンから始まり牛に至る脱骨作業と製品化の習得、それを操作分析して書き起こすこと。

午後は座学、夕飯、点呼、就寝、わずかな自由時間も宿題山盛りという。

28でしたけどね、キツかったなあ。


最近久しぶりに脱骨してオリジナル商品を作るようになりその頃覚えた技術が役立っております。

やっぱ若いうちに体で覚えたことは忘れないもんすよね。

で、それに伴い久しぶりに脱骨用ナイフを使うようになったのですがこれはかの学校の実習で使っていたものなんであります。

柄の部分には当時の学籍番号である26の刻印がまだ消えずに残っておりまして。

社会人になりたての頃「学生気分が抜けとらん!」なんて怒られたもんだけど、ある意味学生気分を仕事に生かすという。


そういや親の会社に入り実家はその二階ってのはなんとなくいつまでも小遣いもらって暮らしてるような気がするもんで。

そんなこんなであたくしいつまでたってもどっか甘ちゃんなのかもしれません。


おやじ死んじゃったからしっかりしないとね ( ;∀;)


先っぽ欠けちゃった 

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2024年7月1日月曜日

毎年恒例・亡き友を語る

土曜日は親友浅野の命日でございました。

直売会後に偲びつ飲みつ、奴なら最初から甘い酒飲んだろうなあと温州ミカンサワー蔭膳に据えまして。

一昨年三回忌で北海道の実家にお邪魔した折綴った彼の思い出を今年もまた再掲させていただきます。

長文ですので飛ばし読みでもしていただければと。


二年前急逝した 浅野は学生時代からの親友で卒業後もほぼ毎月のように飲み、一時毎週必ずやっていたニッコー屋上飲みクラパイにも毎回のように顔を出していたためゲストでみえた方々とも知り合い、あたくしのカヤック仲間を中心にそれ以外にもたくさんの方とお馴染みになっておりました。

数年前からかなり込み入った事情により、決して仲違いしたわけではないのですがライン以外会うこともなく時間が経つうちいつか疎遠になっておりまして、ある時期なぜか急に彼のことをあれこれ思い出しては不思議に思っているところへ訃報が入りました。

虫の知らせのように。

親御さんや親類の方にはいつもあたくしの事を話していたそうで、彼の携帯から番号を拾ってかけてきてくれたのでした。

既に近親者で葬儀を済ませたとの事でしたがすぐにでも行きたかったところを例の移動制限で動くもならず、命日であるこの六月ようやく思いを果たせたような次第です。

ご自宅での法要で初めてお会いした御両親は父上がびっくりするほど本人に似ておられ、明るい母上と従妹の方と四人家では見せることのなかったという故人の暴露話に泣き笑いのひと時で、帰省するたびあたくしの事を話していたという彼と、またご両親に向けての供養にもなったかと思いまして。

にしてもですよ

独り身で亡くなったわけですし一人っ子でもあり、既にご高齢のご両親が旅立たれた後彼の生きた痕跡がどこに残るのかと考えれば改めて人の一生というのは何だろう?との思いが募り、それこそあふれるほど思い出を共有しているあたくしがその一端や人となりを書き残すことでそれになるのであればと、更に長くなりますが出来たら浅野っていう男がいたんだなあと心の片隅にでもお留め置き頂ければ幸いです。


浅野と初めて会ったのは立正大法学部の教養課程クラスで、50人ほどいたうちのひとりだったためオリエンテーション旅行で八人ほどの同じ部屋になるまで話したことはありませんでした。

今更ですがもう40年も前の事です。

自然そのメンバーが当初のグループとなり、誰かの部屋で焼肉やろうと話がまとまり浅野の部屋に集まったわけです。もちろん実家が肉屋のあたくしがお肉の係で。

熊谷の田舎にあった学生ばかりのアパートの部屋は入ってびっくり足の踏み場もないほど散らかっており、まずは掃除となりましたがごみ箱が埋もれていて探したくらいでありました。

ひとり用の冷蔵庫では棚三段ぶち抜きで玉ねぎが伸びており、ビニール袋の中からは発酵した果実の良い香りがしたものです。


実生活はそんな具合でしたが人間としてはマメな奴で誰とでも話を合わせることができ、というのも博覧強記というか何でもよく知ってるタイプ。

それでいてひけらかすでもなく飄々として聞き上手なので、滑り止め第三希望くらいの大学にもぐりこんで屈折した仲間の良き相談役になっておりました。

あたくしも講義が早い日の前夜に泊まりに行くようになり、学生らしく酒飲みながら口角泡を飛ばすこともありましたがただ黙って煙草吸ってるだけで何時間一緒にいても苦にならない、そんな関係になっておりました。

熊谷は夏の暑さが厳しいところで鉄筋コンクリートの部屋は風も動かず、ベランダから渡れる隣の棟の屋上でパンツ一丁になり二人で雷ダンスを踊っていたら本当に夕立が来たなんてこともありました。

もっと広くてきれいにしている友達の部屋もあったのですが客が帰ると掃除機かけて布団干すような奴だったりして、狭くて暑くて臭い浅野の部屋に入り浸っておりました。

そういえば失恋した日に浅野を訪ねたら留守でその友達の部屋に行きヤケで飲んだくれ、時効ですけど勢いで運転して浅野を迎えに行ってまた飲んでますと「ちょっと出ようぜ」と。

線路際の道を肩並べて歩いてたら「お前なんで最初に俺んちに来ねえんだよ!」「行ったけどお前いなかったじゃん」「あ、そうか・・・」なんてことも。

ポケットに手を突っ込んで斜にこっちを見ていた姿は今もそのまんま浮かんでまいります。

ハンググライダー部のあたくしに付き合い千葉の磯根崎で初めてリッジソアリング(崖沿いの風に乗って長時間飛行すること)した時、テイクオフのワイヤー押さえていてくれたのも奴でした。

帰りにタイヤパンクして苦労したっけなあ。

再ブームになっていたボーリングにもよく行きまして、これもブームで田舎に出来たカフェバーでブラッディマリー頼んだら「ヘイお持ち!ブランデーマリーね!」なんてんで「絶対こないだまで居酒屋だったよなここ」と二人で大笑いしたなんてこともありました。

人に合わせる方が多い割に芯は通っており骨っぽいところもあり、あたくし行かなかった時ですが夜中の熊谷界隈を車で走っていたら地元のゾクに絡まれ、他の二人が青くなってる中一人出て行って話をつけたという伝説も残しております。

犬猫鳥など小動物が好きで泊りに来た時うちの実家で飼っていたクロベエ(猫)ノンベエ(犬)を可愛がっておりました。

四年生の時なかなかアクの強い奴とつるむようになった時期があって結構影響受けておりましたら、「お前のいいところが消えちゃうよ」と耳の痛い忠告をしてくれたこともあったなあ。


卒業後すぐ横浜で新社会人となったあたくしの山手の部屋にもよく泊まりに来まして、会社があったみなとみらいで再生する前の古い桜木町や関内を飲み歩きもしました。

根っからの酒飲みなあたくしと違い酒そのものより雰囲気が好きなタイプで「とりあえず生」ではなく、なんちゃらフィズだの甘い酒から入るのには閉口でしたけど。

当時「渋がる」と言いまして要するにカッコつけて浸るってことですが、解体予定だった赤レンガ倉庫の近くにあった税関倉庫前の暗い海を見ながら埠頭にうんこ座りしていつまでもタバコ吸って渋がっていた時、「仲間内でだれか早死にしたら墓前にたばこ供えて渋がろうぜ」なんて話しました。まさか奴がそうなるとは・・・。

銀座松屋の裏に奴の職場があったのでそっち方面の外回りがある時は呼び出して一緒にランチしまして、サラリーマンの日常を垣間見たり。


結婚後のあたくしの新家庭にも時折遊びに来ては酔いつぶれてテーブルの下で寝ているあたくしをうっちゃらかしてかみさんと話し込んでたことも再々あり、彼女曰く「あなたの友達の中で浅野さんが一番話しやすい」とか。

なんでも旦那への愚痴を他の友人はあたくしの肩ばっかり持つのに奴だけは公正に話を聞いてくれるんだとかで、おそらくそのあたりの聞き上手さで主に苦労した玄人筋の女性に良くモテた男でありました。

お相手を三人知っててうち一人は残念ながら果たせませんでしたが婚約者として家に連れてきたし、最後の一人はクラパイにも何度か。

「あしゃのん」といういい年した男にあるまじき?甘ったるい呼び名は娘ほど下の最後の彼女がつけたものでした。

そういやその子の引っ越しに頼まれて車出しまして、顎で使われてるの見て「小娘に使われてんじゃねえよ」なんて。

引っ越しと言えば式の直前元カノと切れなくて駆け落ちすると言って学生時代の友達から夜電話かかってきた時も、浅野と二人で駆け付けたものでした。

息子二人連れて男四人の湯河原ツアーの時には風呂の後坊主たちが「浅野のおじちゃんの方が父ちゃんよりチ〇チ〇大きいなあ」なんて ( ;∀;)


いつもノーネクタイの黒っぽいスーツ(部屋干し臭い)着ててカラオケでは「ライヴィアンローズ」ポケットに手え突っ込んで歌い、そりゃいいんですが外遊びの時もそのカッコで来るもんですからN部君と初めてファルトボートで那珂川下るので一緒に行くことになった時「濡れるから絶対スウェットとか着て来いよ!」と言ってたのにいつも通り。

仕方ないからあたくし履いて行ったジーパン貸しましたけどね。

これもN部君と三人スキーに行きまして、北海道出身だからさぞかしと思ったらヘタクソで、そりゃいいんですがコケるとそのまんま座ってて我々が登って行って板履かせてやるまでタバコ吸ってたり。それでいてウェアの胸元雪で一杯なのに一向平気な顔してるとこだけは道産子っぽかったり。


博覧強記と書いたように何を話しても知識では敵わず子供時分から好きだった詩歌の類ならばと、当時凝っていた漢詩の一節をmixiに上げまして

 ただ今 ただ西江に月のみあり 嘗ては照らす 呉王宮裏の人

するとすかさず「呉王宮裏の人とは西施の事だな」とコメント。次いで

 象潟や 雨に西施が ねぶの花

なんて芭蕉で返しやがりまして、きざな野郎でしたよ。あたしなんぞ最初「ぞうがた」と読んでましたもんね、クッソ~!

啄木の

 しんとして 幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍の 焼くるにほいよ

という詩を書きますと

 かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 聲の荒さよ

で返しやがって、あたしゃこの詩知りませんでしたもんね。ああ思い出しても悔しい。


あれやこれやきりがないのでもうやめますが思い出すほどにいかにかけがえの無い友であったかが今更思われ、何で死んじゃうかなあ、話したいことが特に最近山ほどあるってのに。

いい奴だったなあ。


亡くなってしばらくして、知らせてくれた従妹の方からセピア色に変色した未投函のはがきが送られてきました。

浅野が旅先の釧路からあたくし宛てに書いたもので、どういうわけか出さずじまいのまま保管してあったのを遺品の中に見つけたという。

奴らしくこじんまりした字で街の様子が書かれており食べ物やワインが美味しいこと、最果てのイメージに反して賑わっているけど夕方霧が出ると運河に映る街灯が寂し気で旅情を誘うこと、翌日は親父さんに借りた車で納沙布岬まで行き帰りに同窓生と会うことなどが綴られ、帰ったらまたいつものように遊ぼうぜと結ばれておりました。

霧の釧路にて 浅野聡 と


飲みながら読んでたら切なくってね~、一人ぶつぶつ話しかけておりましたよ。

帰ってこないだろうからいずれこっちから行くわ。その時はまた飲もうぜ。

俺最初生だけど、お前どうせまたモスコミュールとか言うんだろうな。

じゃあそれまで。またな。




では実にベタですが手向けに一曲「涙そうそう」
どうしても最後までまともに歌えなかったので、一番ましなバージョンで。






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