え?今どき?って話なんですが置き薬屋さんが来るんであります。
いつからか忘れましたけどずっと来てるんであります。
普通の一家構えてた時はかみさんが在宅だったので知らない間に来てたわけで、その後三人暮らし二人暮らしを経てチョンガーとなってからは夜電話があってから訪れてくるパターン。
あたくしはめったに薬飲んだりしないので主に坊主、特に上は腹が痛いの風邪ひいたの言っちゃあ使ってたので集計すると結構な額でありました。
ドラッグストア全盛の今とは言え急に具合悪くなると買いに出るより大分と重宝なのは確かで、特に出かけにお腹の不安がある場合などは。
とはいえ一包空けちゃうとひと箱分取られるし価格にしても集金の人件費乗っかってるだろうしで、コスパってやつで言うと良くはありませんわな。
しかし薬屋さんからすればあたくしのように年中遅かったりいなかったりする客を相手に何度も携帯でやり取りした末、ようやく都合ついて来てみれば総額二千円なんてんじゃそりゃあそろばんに合わないだろうと。
つい先日来た時そんなこんな話してたら先方も例の働き方改革でこれまでのように時間使えなくなったとかで長年のお付き合いに終止符ということになりました。
なんかちょっとね、寂しいような。
思えば子どもの頃は団地の各階に昔ながらの富山の薬売りのおじさんが来てお袋相手に世間話しながらお茶飲んで、帰りに決まって紙風船置いて行ってくれたもんであります。
白黒テレビではまだ情報番組なんぞ無く当然ネットなんざかけらもありゃあしない時代には、全国回って歩くおじさんの旅先での話は貴重な対外情報でもあったわけで。
情報といえばあれだってね。
それぞれの薬屋さんの持つ顧客情報は家族構成から購買履歴まで多岐に渡っており一子相伝の秘密で、自分が廃業する際には想像以上の高額でそれを書いたものが後を託す人間に受け継がれたという。
内田康夫の浅見光彦シリーズ「蜃気楼」ではこれで殺人まで起こりましたもんね。
今日のひとり万葉集です
薬売り 昭和と共に 遠ざかる 母と遊びし 紙の風船
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