その時分まだエコだなんてことを真に受けておりましてなるべく水は大事にしようなんてんで。
消費と循環こそ30年間にわたって停滞してきた我が国を救う唯一の道だと悟ってからは、と大仰に言うほどの話じゃなくお泊りに来るお友達に風呂がヌルつくと言われたのでなるべく毎回取り換えるようになりまして。
その方に教えてもらった神宝塩のクレイソルトなる入浴剤?をサラのお湯に溶くとまるで温泉のような気持ち良さで、湯舟掃除にも力が入るんであります。
とはいえ
やっぱ一人の時毎回換えるんじゃもったいないと、これは環境問題ではなく個人的セコさゆえに二回に一度が最近のペースであります。
この二回目の時にですよ
追い炊きして入るわけですがどうせ出る時捨てちゃうお湯を温めるという行為にある種哲学的問題を想起するんでありますよ。
よくウスバカゲロウが成虫になると口が無く一週間で死んでしまうことが生きる意味という引き合いに出されますが、も少し高尚な、例えば新平家物語(ユーチューブでずっと聞いてていよいよクライマックスを迎えた)で公達が明日は戦に出るという前の晩斎戒沐浴し歯は鉄漿に染め薄化粧して身は美々しく鎧う心映えを、もしかしたら死んじゃうのに無駄じゃね?と誰が言えましょうや?
てなことを考えながら出てから掃除するまでの時間を短縮しようと、栓を抜いて減りゆくお湯の喫水線に合わせ最後はタマと顔の高さが同じになるまで身体をズルという。
どこが高尚やねん! ( ;∀;)
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