一昔前はよく食べ物屋さんの前に置いてあるのを見かけましたが最近じゃ珍しいので目につきまして。
ちょいと調べますと信楽焼狸庵の創業者が清水焼の窯元で修業時代、月夜の川原で狸たちが腹鼓打ってるところを見たのがきっかけになったとのこと。ほんまかいな? ( ;∀;)
あたくしの知り合いで中高一貫+短大付のいわゆるお嬢様学校に通っていた方が高校生の時、通りすがりに道を聞かれ一緒に歩いていた友達が「あのオスの狸の人形があるお蕎麦屋さんのところを入るんです」と答えたという。
狸と言えば八畳敷き、通るたんびにこっそり見ていたんでありましょう。
現代のように身も蓋も無くなる前の「慎み」なんて言葉が生きていた昭和の女学生の、いとど微笑ましいお話でございます。
「学生時代」という古い歌の中の 胸の中に秘めていた恋へのあこがれはいつも空しく敗れて一人書いた日記 というフレーズを思い出すんであります。
完膚なきまでに絶滅してしまいましたね~ "(-""-)"
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