俵万智さんの歌にも詠まれた浜田省吾さんの名曲「路地裏の少年」は我々の世代ドンピシャでありまして、デビュー曲がいきなり代表作になった稀有な例とはいえセールス的には最初から成功であったわけではなく、これまた我々世代の「宇宙戦艦ヤマト」が再放送の度じわじわと人気が出たのに似ております。
あたくしも大好きでしたね~。
弊社現場で流れる音楽はみっち部長セレクトをユーチューブからスピーカーに飛ばすもので、最近増えたハマショーを聴きながら仕事しておりますと思うところ多いんであります。
あの時代乱立するミュージシャンの中を走り続けて今に至り、残った数本の巨大な柱の一本となった浜田省吾。
70年代のアメリカ青春映画の匂いが色濃い初期作品から後に社会問題に踏み込んだメッセージ性の強い曲まで一貫しているのはなんつ~んでしょう、仕事=嫌だけど生活の為しかたねえし、みたいな。
その詩に曰く「頼りなく豊かな」「飽食とエゴに満ちた」「銀行と土地ブローカーに生涯をささげる悪夢のような」この国がベースとなっておりまして、子供の七人に一人が貧困にあると言われる現在から考えりゃ誰もが少なくとも十分に食うことのできた時代のなんとも贅沢な悩みであったなあと。
「意味のない」「忙しいだけの」仕事っつったってちゃんと正社員でしょ、労働者の半数以上が非正規で将来が見えない中普通の若者が結婚もできない今を当時想像し得たわけも無く。
もうひとつは「俺はこのちっぽけな町を出るぜ。縛られた鎖を断ち切って自由に生きてやるぜ!」という。
あたくしもそんな空気の中でここまで来て、今になってかつて煩わしいと切り捨てたものがいかに大切であったかを痛感しております。
親類縁者、隣近所、地域社会といった一見しがらみとも見えるそれらが実は個々を結びつけるセーフティーネットともなっており、そこからの自由とは結び付けるアンカーの無くなった浮遊に過ぎないと言いますか。
昨今若者の起こすジョーカー的不条理な犯罪の一因は、属する場所を失った行き場のない身の上の不安の発露とも思えるんであります。
若いころ一人旅をするたびに、寂しさをうそ寒いような快感として味わえたのは帰る家があるからなんだと思っておりました。
世の中が変わったのはハマショーのせいじゃありませんが、取り戻すべきものが逆に彼の作品世界から浮かんでくる気がいたしております。
0 件のコメント:
コメントを投稿