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2022年9月17日土曜日

弛緩した視線を悲観する

学生の頃よく通った土手沿いの道にとある看板がありまして、場所柄不法投棄に対するものかと思われ、曰く「見ているぞ 知らないところで 地域の人が」という。
まだ地域社会がある程度機能していた頃でもあったのでしょうが、も少し前の日本人なら誰が見てなくともお天道様が見てるという罰当たりの感覚が残っていたもんです。

いずれにせよ見られているという意識が抑止力として働くのは自身に対する後ろめたさであり、何ものか大いなる存在であるとかそこまでいかなくともまあ世間体?程度でもそこから受けるであろうなにがしかの制裁を恐れての事でありましょう。

そういった意味では他民族へのジェノサイドや他国への侵略行為を恬として恥じない国に対して、セコい上にほとんど効力を持たない制裁ともいえない対抗措置しか持ちえない国が「重大な懸念を持って注視」したところで屁のツッパリにもなりませんわな。

ミサイル何発撃ち込まれようが訓練と称して機関銃乱射されようがそれしかできないのかっての!
防衛費一括200兆円でも積んで備えよ! 五年後の日本は無いかもしれません ( ;∀;)





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