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2020年3月9日月曜日

あの日の50を知る

まもなく東日本大震災から丸九年目を迎えようとしております。

あれ以来不思議なご縁をいただいた陸前高田、気仙沼、南三陸にしばしばお邪魔してまいりまして、特に三月は必ずうかがっておりましたが今年は武漢肺炎の影響をもろにかぶり本業が危うい中、ちょっと遠出できる状況にないため誠に残念ながら行くことが出来ません。
お約束してお待ちいただいてた方々、ごめんなさい "(-""-)"

その代わりというわけではありませんが昨日は映画「Fkusima 50」を見てまいりました。
この作品は福島第一原発事故後初めて吉田所長以下現場で対峙したスタッフの方々に詳細なインタビューを行った門田隆将氏のノンフィクション「死の淵を見た男」が原作です。


これからご覧になる方もおられるでしょうから詳細には触れませんが、胸苦しくなるような緊迫感が最初からず~っと続きます。

地震・・・津波・・・電源喪失・・・決死隊によるベント。
官僚化した本店の対応・・・馬鹿首相・・・水素爆発・・・チェルノブイリの百倍に及ぶ被害予測。

本当に一歩間違っていたら東日本は人の住める地ではなくなり日本人の半分五千万人が家を追われたであろうところを食い止めたのは、現場に残って不眠不休で作業に当たった東電マンと自衛隊員の方々でした。
実話の重さに泣きました~ ( ;∀;)

死を賭して居残った50人を海外ではFkusima 50と敬意と称賛を持って呼ぶそうです。
日本ではあまり語られませんよね。
それどころか一旦は全員逃げたなどと悪意に満ちたデマまで流されて、くっそ~!
でもね

かく申すあたくしもあの頃は何も知らんと東電前の反原発デモに鼻の穴膨らませて通っておりました。
実に申し訳のない黒歴史であります、ぐみんなたい・・・ ( ;∀;)

ノーブレスオブリージェとは貴族など身分の高いものがそれに応じて負う社会的貢献と義務を差す西洋の言葉だそうです。
先の大戦で顕著だったように、いざという時その覚悟が一般人にもあるのが日本人の特徴だと聞いたことがあります。
あの時もそうだったんだなあ。

Fkusima 50,本当にありがとうございました!



 
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