最近聞いた話、友達のご母堂がケガで入院していた病院から無事退院され家に戻った時待っていた彼に「毎晩お父さんが来て立ってたのよ。心配そうな顔して」と言ったという。
彼の父上は数年前他界されており、しかしながらご母堂は怪我の他悪いところは無く痴呆とは無縁であることから実際来ていたのだろうと。
怪談話で済ますには、死んでまで遠路?やってくるほど誰かを深く想うなんてことが自分にはあるんだろうか考えてしまいまして。
かのご夫婦にしても生前常に睦まじかったかと言えばご多分に漏れず小さな諍いは年中であったそうで、それにしても離婚のハードルが決して低くなかった時代幾多の山川乗り越え渡り70年近くを添い遂げた絆と申しますか。
誰かと分かち合う事をマイナスとしか捉えられない傾向の強い現代において、辛抱という死語に近いものと引き換えにしか手にすることのできない何か大事なものを失ってしまった気がしております。
いうてもでっせ
好きなもの作って並べたテーブルに着きビールの栓開ける時の幸福感は何物にも代えがたく、離れたとはいえ家族があり友がありお友達(同音異義語)があり、それが頃合いの距離の同心円状に位置している上での多幸感と分かっちゃいても今更誰かと暮らすなんてあり得な~い。なんて。
お茶々さんいればいいや。
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