2025年4月30日水曜日
小ネタで背理する
2025年4月25日金曜日
別に真人間になろうというのではない
大分昔のミュージシャン、つのだ☆ひろ(実際にこう書く)さんがご兄弟を亡くされた時自分の残りの人生を思い、お酒を断つことを決められたと何かで読んだか聞いたかしたことがあります。
毎晩飲んだくれてダラダラ過ごしていた無駄な時間を読書なり作曲なりに振り替えて充実したものに出来るようになったとか。
分かるっちゃ分かるんだけど、あたくしのように日々ハードワークしている者にとっては(別につのひろさんが楽してるという訳ではない)、せめて自宅で寛ぐ時間くらいダラダラしてもいいんじゃないかと。
それを無駄と考えるかどうかは本人次第だしさ。
言うてもYouTube見るのだって歴史とか宗教とかそれなりに身になるもの選んでるつもりですが。
さはさりながら
今のところ唯一の趣味となっておりますブログ書くのは仕事の合間で、六時から八時くらいまで伝票打ってる時間盗んでササッと。
イラストも下描きなしの殴り描きだし。
ただどういうものか現場作業しながらでも頭の中はその手のアイデアで満ちておりまして、ちょっといいフレーズとか浮かぶと楽しくって仕方ないもののまとめる時間が無い。
で
それこそ家でダラダラしてる時間を当てられないかと考え、Bluetoothのキーボード買ったんでありますよ。
おスケベ動画専用?のタブレットと繋いてやってみたんですがどこのメーカーとも知れない安物でマニュアルも変な日本語。
使い慣れないことはなはだしかったのが最近ようやくサクサク出来るようになりました。
このところ前編後編に分けて書いてた長いやつとかはそれでして、じっくり推敲したりしてるとなんちゃって作家気分でなかなかいいんであります。
ただ素人ながらやっぱ詰まる時は詰まるし進みだすと指が勝手に文章書いていったりと波があり、どうかするとダラダラしてた時より寝る時間遅くなったり。
でも楽しいわ~ ( *´艸`)
あ、酒は飲んでますよ。
これは会社で書いてます。
2025年4月24日木曜日
湿潤を好む
昔腕時計の竜頭、と言ってもデジタル全盛の現在知ってる方は少数派になってしまったかもしれません。
時間合わせるために針を回すねじみたいなやつが横にあって、使う時にちょっと引っ張るという。
これを歯で引っ張ろうとしたらズってしまい、その時の実に嫌な感触が50年たった今でも残っております。
そのためかとにかく乾いた感じってのが苦手なんであります。
小雨の時運転してるとフロントガラスがちょっとだけ濡れますよね、あれワイパーつけっぱだと水切れてんのに拭くじゃないすか。
あれダメなんすよ~、乾いた感じが。
だからよほどの本降り以外は間欠ワイパー使っております。
可変式のがあって助かりますわ。
あと玉子かけごはんね。
あれごはん多めだと玉子吸っちゃうじゃないすか。
あれもダメなんすよ~、乾いた感じが。
だからなるべくご飯減らしてからシャバシャバにしていただきます。
おしょうゆよりめんつゆ派。
牛丼は当然つゆだく。
ネバネバよりヌルヌル、びしょびしょよりびちゃびちゃって感じ。
何でしょうか? ( *´艸`)
今朝は外回りで急ぐのでイラスト無し。
2025年4月22日火曜日
人物像を特定する 勝手に 後編
ロックンルージュ編
スイトピーの件と違いここで海へと誘うのは男性の方であります。
前段階としてグッと渋いスポーツカーで「待たせたね」と乗り付けるのですが、ここで時代考証に入りますと携帯電話もメールもなかったこの時代事前に約束は取り付けてもその場に相手が確実に現れる保証もまた確認も連絡の手段もなく、かといって1ダースもいるガールフレンドを公言して憚らないだけに女の子より先に来て待ってたのではカッコつかない。
そこでこの男の取った手段は待ち合わせの場所を見通せる植え込みの影に1時間も前から隠れ、しかもそれは駐禁切られないよう車のすぐ前。
五分遅れで彼女が到着したのを確認後さらに五分間をドキドキのうちに待って車を発進させたのでありましょう。
故にグリースでかためた頭には開花前の四月のツツジの葉っぱが付いていたかも知れず、しかしその程度はお見通しの彼女は気振りも見せずサイドシートに乗り込んだんであります。
大体においてこういう場合女性の方が落ち着いており、この点一つとってみても男女の入れ込みがスイートピーとは逆に男性の方に針が触れてるのが分かろうというもの。
で、ここで海に行こうぜと指を鳴らすのですが時代考証によればポール牧師匠全盛のこの時代の指パッチンは、カッコつけるにはやや道化に流れるリスクがあったような。
加えて彼女の彼に対する動機が不純だとの反応も、それが夏場であれば水着姿見たいとかなんだろうけどよく分からない娘心(死語)。
さてここでこいつは彼女の肩に手を回すんであります。
スイトピーの男が手も握れないのに比べるとかなり積極的と言えますが、海に着き防波堤の上を歩きながらコクる時のもつれようからしてこいつも全く女慣れしていないのは明らかであります。
これは若さゆえの先走り、フライングと思われ、よってこの二人は学生で同い年、短大のサークルで知り合ったと推察されます。免許取りたての二十歳と二十歳。
それは黙り込むのを恐れジョーク並べるあたりの浮わついた野郎の稚拙さにも表れており、不器用ながらもどこか落ち着いた感のあるスイトピーカップルにはまだ及ばない若気の至り。
話さなくとも一緒にいられる時間を感じられるだけで満たされるのが大人だしさ。
やっぱ経験値と年の功よね。
余談ながらこれも時代考証いたしますと、刑事ドラマの追跡シーンにまでシートベルト着用を求めるくっだらない現代のコンプラで言いそうなのが「片手運転は安全運転義務違反だ!」ってな話。
軽くつねられて離したんでしょうが。
すると今度は「ちょっとブルーに目を伏せるな!正面を見て運転しろ!」
なんてな ( ;∀;)
そりゃいいんですが
同い年の男女は女性の方が二つは精神的に上と言われるように、この二人も女性の方が軽くいなしながらも嫌よ嫌よも好きのうちを実証するかのようにキッスは嫌よと言っても反対の意味よと。
とはいえここで重要なのは PURE PURE LIPS で、要するにまだ💋してないことなんであります。
思い起こしていただきたい、スイトピーの彼女がもっと先の欲求を言っていることを。
このまま帰れないと。
そうです
二曲に渡る物語のヒロインはリリースの順とは逆になりますが、実は時を隔てた同一人物だったのです!
♪ 好きよ 今日まで会った誰より I will foiiow you あなたの生き方が好き ♪
この「誰より」の中にはルージュな野郎も含まれ、だってLIPS に関してはこの時済ませちゃってたんだもの。
い~んです!それが若さってやつだから。
逆に言えばこんなライトな恋愛を経たがゆえに実直であることの価値を知る事に繋がった訳だから。
しかしですよ
短大時代の聖子ちゃん(古語)となんとか💋までは漕ぎつけその後フラれたであろうこの男にも実は引きずる過去がありまして、それはスポーツカーは親父の所持品とは思えず今ほどレンタカーが普及していなかったことを考えると、おそらくは金持ち物持ちの友達を拝み倒してまで借りて用意したのには電車に対するトラウマがあったからなんであります。
想い人を誘い電車で海に行く途中逃げられたという。
♪ 電車の扉が閉まる瞬間 急に君だけ飛び降りたんだ 叩いた窓には 濡れた瞳が声にならないさよならを告げてた
夏になったら砂浜で 君をお前って呼びたかったよ(青いぞ坊主!)♪
(僕 笑っちゃいます)
そうです、こいつは風見しんごだあ~!!
2025年4月21日月曜日
人物像を特定する 勝手に
妄想歌謡曲のコーナーです。
今回は松田聖子「赤いスイトピー」と「ロックンルージュ」 の二曲についてそれぞれの登場人物をプロファイリングし最終的に実在の人物を当てはめようという試みなのですが、分析に当たっては当然ながら曲の舞台となった時代背景が重要でありその人物も流行した当時に活躍した方、要するにあたくしの青春時代に売れていたということは読んでくださるのがもしお若い方の場合「そんな人知らない」もしくは「もうおじいさんじゃん」ってなことがあるかもしれません。
そんな場合は検索機能が発達している現在の事、誰々 若い頃 で画像検索してみてちやうだいね。
二曲に共通するディティールは付き合いはじめのカップルが春の海に出掛けるという。
仮にどちらも湘南海岸方面としましょうか、あの頃の事だし。
一気に書くとものすご長くなりそうなので、例によって前編後編に分けてお届けいたします。
「赤いスイトピー」編
春色の汽車に乗って海に連れていってよ→車持ってない
タバコの匂いのシャツにそっと寄り添うから→部屋干し
この二点からもあんまし金持ってない男ということがわかりますが、女性の方から誘っており半年過ぎても握ってくれない手をもて余しぎみに寄り添うあたり想いの強さは女性側にあることがわかります。
やがて
四月の雨に降られ駅に戻った二人はホームのベンチに所在なく座っております。
サザンのノリでいけば悔しげな彼女とパシフィックホテルに駆け込むという手もあるのにベンチかよ!と、このあたりからもちょっぴり気が弱い男性像がうかがわれ、海に出掛けて駅に人影がないというのは恐らく平日にシーズン前の北鎌倉あたり?
なんぼ金が無くても歩かせ過ぎだろ!そりゃ無口にもなるわ。
とはいえ間が持たず時計をチラ見する男性に向けて熱い秋波を送る彼女、泣きそうになるのは帰りたくないからで、けど北鎌のあたり泊まるとこ無いからなあ。
結構遠いけど平塚まで出ればパシフィックホテルもあるからね、とエールのひとつも送りたくなろうかという。
けどどっちみちホテル代も無かろうし、横浜駅で崎陽軒のシュウマイ弁当買って野郎の部屋に帰りぎこちなく結ばれるってとこでしょうか。
ここで線路の脇にある赤いスイトピーの暗喩(あったらだけど)をあたくしのように下賤な想像で読み解くと、線路と言えば踏み切り、つぼみを前に俺の遮断機上がっちまうぜ~!となるのですがこの男の場合そんなこたあない。
だからこそ生き方が好きと言わせちゃうのよね。
これね
男にとって一種の殺し文句でありまして、ルックスだので惚れられる男はそうそういないし自覚もあるであろう中、あなたの生き方が好き、なんて言われてごらんなさいよ。
どんなに気が弱い奴だって「そ、そっかなあ」ですわ。
ではこれらを踏まえて彼と彼女の人物像を考えてみましょう。
彼女は小さな編集社に短大卒で入社三年目の23歳。
二つ年上で小説家志望で時おり雑誌に小さな記事を書かせてもらっている彼とそこで知り合い、金はないけど木訥とした人柄とその夢に惹かれ彼女の方から交際を申し込んだという。
そのきっかけとなったのが半年前の11月、編集長からアイドル本のゴーストライターを依頼された彼は「俺・・・金でペンは売りません!」と断ってしまいしばらく干されることに。
しかしそんな一途さを見て彼女は I will follow you になってしまったのです。
女性役はもちろん聖子ちゃん(古語)ですが男性に誰を当てるか。
タバコ臭いシャツ一枚を着回して不器用で木訥モジャモジャの長髪。
中村雅俊!
2025年4月18日金曜日
百を超えるものを見る
百分率とは百で割った内のいくつかという事ですから、当たり前の話ですが百より上は無いわけで。
ところが人は時に120%とか口にいたします。
こりゃ今風に言うと最高過ぎる!てとこでありましょう。
マイケル・ジャクソンの「This is it」は彼の死によって未完のうちに終わったツアーのリハーサル映像を集めた映画で、以前見たことがあったけどおススメに上がってたので何気にも一度見たんであります。
正しく世界中から集まったバックダンサーのオーディションから始まりステージの構成が練られ練られていく様子をカメラは追うんでして、その熱量たるや大変なもので見てるだけで圧倒されるほど。
マイケル本人はもちろんダンサー、バンド、照明、その他スタッフの端々に至るまで一切の妥協を許さない姿は感動的ですらあります。
で、なんつっても圧巻はダンスシーンでありまして、あたくし「キレッキレ」って表現嫌いなんすけどそうとしか言いようのないもの凄さ!
一時素人ながらライブもどきやることが結構あったあたくし、コンビ組んでたセミプロの方から本番で練習の六割出せたら上出来と思いなさいと励まされておりました。
60%ね
しかしですよ
マイケルたちの場合はどう見ても120%なんでありますよ。
間違えるなんてのは論外というか想定すらしてないというか、正しく出来るのなんざあったりまえであってその上までどう行くかって感じ。
これぞプロっすよプロ! まあリハーサルっちゃリハーサルなんだけどね。
ただあれね
オーディション通ったダンサー達のマイケルへのリスペクトは強烈ではあっても、彼らも頂点目指す人間として越えてやろうという意思も持っているはずで、それらを後ろに従えて踊るマイケルのプレッシャーたるや想像もつかないことを思えば天才も楽じゃないっつ~か。
だけどカメラ通してうかがえる姿には偉ぶるところは一切なく、ただ良いものを作ろうという強い意志のみ。
度を越した才能と人気と名声がかえって生んだ様々な軋轢の中で、押しつぶされるようにして逝ったあの方に改めて追悼の意を捧げたいと思います。
現場のBGMにマイケルが流れるとあたくし思わずナイフ持ったままムーンウォークしてしまいます。
三歩しか出来ないけど ( *´艸`)
2025年4月17日木曜日
AとU を語る Uの巻
A吉のロックンロールが土着に根差した親和性だとするとU也のそれは、出自からして洋楽の和訳焼き直しであるロカビリーという底の浅さ、そもそもはロックに乗らない細い声質、にもかかわらず先達であるということのみによって作られた大物感のもたらした不幸な誤解であったのかもしれません。
改めて動画を探してみるとかつてU也が見出だしデビューに至り、後にスターとなった者たち、沢田研二、ジョー中山、一説にはA 吉もそうであったという、との共演が数多く見られ、それはまるでマンガ「ストップひばり君」における梶先輩のように大学進学後の部活で通用しなかった挫折を母校の後輩たちを訪ねることで埋めるかのような印象をもたらすんであります。
そしてそこに思い至った時、ある想像に胸を突かれたんであります。
後に世に出る才能を見出だす目と耳とを持っていたとすればその客体としてのロックンロールなハートもまた本物であった事は疑いようがなく、だとすればロックスターを夢見ながらもそれが実力的に叶わないことを誰よりも知っていたのはU也自身に他ならず、だからこそステージ以外での奇異な言動や奇矯なスタイルを通じてしか「反動」というロックスピリッツをパフォーマンスすることが出来なかった事がU也の悲劇であったのです。
なおかつ世評はそれを本人の隠されたある種の歪んだ情動と関わりなく「変なおじさん=滑稽or道化」としてしか認識しなかった事もまた、最晩年に至るまでU也をあらゆる突拍子も無い袋小路へと追い込んだのかもしれません。
ここで再びA吉に戻りますと、滑稽という点では実はA吉にもそれが多々見られ、例えば流暢な英語で歌う楽曲を持ちながらパフォーマンスにおいては「OK」「レッツゴー」「カモン」のみが通用語であるかのような突っ込みどころがありながらも「あれだけの天才だからちょっと変わったところもあるよね」という冒頭の長嶋茂雄に通ずるような、得失点差でいうところのU也にとっての失点がA吉には得点にカウントされてしまうという、ここにおいてもスケール感の違いによる逆転現象となるのであります。
長々申し上げて参りましたがかつての銀幕スターが食うためにバラエティー番組で素を晒してまで生き残りを図るみっともなさに比べれば、最後まで膝を屈することなくたとえ笑われようが己を貫いたという意味で、やはりU也はロックンローラーとしての生を全うしたと言えるのかもしれません。
最期に繰り返しますが以上の事は全くあたくし個人の勝手な想像であって、A吉U也の実像は全然知りません。
ごめんU也。 A吉もごめん。