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2013年9月30日月曜日

無辜なる民を憂うる

あまちゃん終わったっつ~んで大騒ぎですね。噂は聞いてたんですが、日曜家にいたんで初めてまともに見ました。バックナンバーも検索して見ましたが、確かに面白い!震災復興を含む地方の問題や家族の再生など、深い所に触れながらコメディタッチで楽しく描き、時にグッとくるあたりさすがクドカンって感じ。ま、今頃何言ってんだ?ってとこでしょうが。
同チャンネルでかつて社会現象にもなったドラマと言えば「おしん」ですね。大根飯しか食えないのが可哀想だってんで、主演の女の子の家に全国からお米が届いたというのは有名な逸話です。ドラマと現実混同しちゃうくらい大人気!みたいな扱いでした。
同じような話で以前新聞の投書に、サザエさんのカツオとワカメが良い子で大ファンですが食後の片づけを手伝わないのはいかがなものか?ってのがありました。これもまた同一線上の和みネタなんでしょうか?
僕はちょっと怖いと思いますね~。それぞれ送った人や書いた人は大真面目なんでしょうが、そのての罪の無い勘違いみたいなものが時として大きな社会のうねりみたいになると、しかも誰かに恣意的に誘導されたりなんかすると、結果的にもの凄く罪深い事を招くような気がします。

元経産省キャリアがブログで復興不要を暴言的に書いたと騒がれてますね。まさに非難轟々ですが、僕は怒るよりも違う意味で驚きました。それは自分の思考の中に全く無かった意見で、そんな事考えてる人がいるという事についてです。失言暴言の類は本音のチラ見せですから、言った当人は大真面目にそう考えてるんですね~。そこには当人なりの理屈がある訳で、それが常識的に間違った事であるとしても、ざけんじゃね~よっ!ぶっ殺せっ!とバッサリやっちゃうのはやっぱアブないんじゃないでしょうか?その考えの根拠を探り、だから違うというところをはっきりさせて、改めて自分の意見に取り入れるくらいの冷静さと寛容さが必要だと思いますね。
今回のキャリアの人は、現場行ってじいちゃんばあちゃんと飯でも食えばすぐ思いなおすんじゃないかしらん?
このところ「永遠のゼロ」や「終わらざる夏」を読み、パブリックビューイングで最終回見ながら涙流す人達に共感しつつも、無辜なる民の原罪というパラドキシカルな事を考えたりしてさ。面白くもなんともない小理屈でしたね?ぐみんなたい・・じぇじぇっ(^_^;)

 

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