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2013年9月23日月曜日

読後感する

今朝はかなり気分が良くなりました。時間があるってのは素敵なことですね。
日記の代わりに久々読書感想文書きました。無い語彙搾り出して小難しく書いてますが、たいした内容じゃありませんもんね(佐賀弁)
  • 2013年09月23日 11:23
浅田 次郎集英社 2010年7月5日
例えばGoogieMapを見る時、かなりな上空から次第に縮尺を大きくしていくと、地図上の点っであった場所が拡大されて実感を持ち、ストリートビューで見るに及びそれが実際に人の生きている場所なのだと体感する。戦時動員というものを本作で始めて知った感覚は、まさにそれであった。
戦後秘史とされる占守島の戦いを描いたこの作品は、冒頭、終戦間近い市ヶ谷の大本営参謀本部作戦課から始まる。エリート中のエリートで構成されるこの部署で立案された作戦に基づき、それに必要な人員の補給すなわち動員は、各方面軍、各旅団、各師団、各連隊へと下達されてゆく。それに伴い机上の数字であったものが、次第に召集される一人ひとりの人間の姿に肉付けされてゆくのだ。
これも始めて知ったが軍籍というものは出身地によって細かく決まっており、例えば岩手出身なら召集を受けたが最後、今日は東京でサラリーマンをしていても、三日後の期日までには全てを捨てて故郷岩手の連隊に馳せ参じる事が絶対であった。そして召集する最終単位の村役場では、担当者が軍籍簿の中から適当と思われる人物を選んで召集令状・赤紙を作成して届ける事になる。とはいえ狭い村社会においてはそれぞれ個人的な知己もあり、働き手を奪われて困窮の極にあることも知りつつ、表面的に名誉とされている知らせをもたらすこの作業が、いかに臓腑を抉られる様な苦痛に満ちたものであるか、作者は選ばれる者選ぶ者の日常を丹念に描き出すことで肉薄している。
千島列島の更に最北端に位置する占守島。無条件降伏に伴う軍使受け入れの通訳という密命を自身知らぬ間に負わされた主人公片岡は、45歳の年齢上限で軍役に耐えられぬ体ながら、翻訳家の英語力を特業として、苦学の末掴んだ東京での幸福な家庭を奪われ北辺の島に送られる。日本人が等しく恨み骨髄とするソ連の火事場泥棒的参戦より更に後、終戦後三日を経ての一方的攻撃に対し守備隊はどのように立ち向かわざる得なかったのか?
浅田作品の特徴であるモノローグを敵味方問わず多用しながら、物語は避けようの無い激突に向かって進んでゆく。しかし本当にそうだろうか?
国家の意思が避けようの無い戦争を生んだとしても、その意思を作るのは人である。日露戦勝の亡霊である統帥権も、独裁者の跳梁も、踊る個人のパントマイムの影が化け物のように肥大した姿であるが、影と違うのは踏まれたものたちが血を噴出してもがき苦しむことだ。そしてそれは震災後のこの国にも、まだ脈々と受け継がれている。次元は違っても、我々もまたその中に生きている。戦争の理不尽と不条理をまさに具現化したような最果ての島の戦いの中で、女子挺身隊員石橋キクの、自分も戦争に加担した一人としてという叫びが重い。
彼女達400名が無事根室に帰りつけたことと、片岡の息子が疎開先からやはり脱走した女の子と東京までたどり着けたことのみは、この陰惨な物語の中で唯一の救いである。特に譲と静江の道中は一種のファンタジーとも読める。上野駅での母親との出会いのシーンは忘れがたく、やくざ蔓助の優しさはチンピラから叩き上げ、辛酸の末作家となった浅田にしか書き得ない場面であろう。生きて欲しいと願う登場人物たちがみな、永久凍土の泥の中で惨めに殺されても、この子らは生きてゆく。それだけが希望である。

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