女房(元)であれ身内であれ妊娠から出産に至る過程を身近に見ておりますと、それがいかに大変で同時に喜びに満ちた崇高な営みであるかがよく分かります。
いかに医療が発達した現代といえど最終的に命がけであることは昔と少しも変わりません。
いかにも自由で何事にも縛られないと鼻の穴おっ広げて一人だけで生きてるみたいな面した世界市民のみなさん(当てこすり)であっても母親に産んでもらわなければこの世にいないわけで、所詮人間一人では生きられないという。
特に男にとっては初めて接する(お腹中からだけど)異性であるがゆえにその声、ぬくもりを通して育てられれば、程度の差こそあれマザコンでない奴はおりません。
またそうでなくては産んだ側も報われませんわな。
で、普通に成長すれば中坊の授業参観あたりから「学校で会っても声かけんじゃねえよ」なんてんで、甘えてた過去など忘れたように親離れしてまいりますが愛憎とまではいかなくともやはりどこかになにがしかの物は残っているようで。
先日お袋(昔はママ)が自宅で転倒し肩の骨を折ったようで、三連休の合間だけど仕事してたので救急含め何件もの病院に連絡取りまくってようやく診てくれるクリニックに連れて行きました。
普段の生活は何でも一人で出来るとはいえアラ90とあってすっかり足腰も弱りおまけに怪我の身、何十年かぶりに手を繋いでヨチヨチと難儀な階段などを越えまして。
年と共にやや狷介となったせいもあり日頃どっちかというとつっけんどんにしておりますが、そういや昔はこの世の誰よりもこの人の事が好きだったなあなんて。
今日のひとり万葉集です
幼き日 導きくれし 手を取りて 歩調合せる 外科の階段
0 件のコメント:
コメントを投稿