2022年7月29日金曜日
明日の直売会のお知らせ
2022年7月26日火曜日
予備選考をお願いする
昨日の続編といいますか
これまで何度か宮中歌会始に応募しましたが全くの素人が何の勉強もせず短歌の決まり事さえ知らず、思い付きで詠んだものが通りはずもなく、とは言っても時に子どもがまっさらに詠んだ歌が採用されることもありますけども。
九月が締め切りなのでそろそろ決めなければというところ。
でね
来年のお題が「友」なんですよ。
昨日書いたように北海道に親友の三回忌に言った時泊まったホテルや帰りの飛行機で、酒飲みながら思い出をたどりつつ何首か詠んでみました。
思いが深い分いくらかましかと思いつつ、こんな場所でなんですが出来たらお読みいただいた方にも選んでいただければと。
① とりあえず 生とは言わぬ 気取り屋の 友の墓前に 甘き酒置く
② 逝きて後 初めて会えり 三回忌 疫病明けし 友の墓前に
③ 疫病に 三歳を待ちて 土濡らす 梅雨無き北の 友の墓前に
④ 長らえば この人のごと 老いたりか 遺されし父 友を重ねる
⑤ 親知らぬ 友の若き日 語りては ひと時笑い また涙する
⑥ 何ほどか うそ間違いを 思いしが 遺影刺さりて ただ泣きじゃくる
まさに腰折れではございますが、よかったら番号でお願いします。
2022年7月25日月曜日
長文で亡き友を語る
先月北海道に行ってまいりましてその時ちょこっとつぶやいたのですが、亡くなって二年目にしてようやくウィルス騒ぎで行きたくても行かれなかった親友の故郷での三回忌でありました。
長文になりますので適当に飛ばし読みでもしていただけたら幸いです。
二年前急逝した 浅野は学生時代からの親友で卒業後もほぼ毎月のように飲み、一時毎週必ずやっていたニッコー屋上飲みクラパイにも毎回のように顔を出していたためゲストでみえた方々とも知り合い、あたくしのカヤック仲間を中心にそれ以外にもたくさんの方とお馴染みになっておりました。
数年前からかなり込み入った事情により、決して仲違いしたわけではないのですがライン以外会うこともなく時間が経つうちいつか疎遠になっておりまして、ある時期なぜか急に彼のことをあれこれ思い出しては不思議に思っているところへ訃報が入りました。
虫の知らせのように。
親御さんや親類の方にはいつもあたくしの事を話していたそうで、彼の携帯から番号を拾ってかけてきてくれたのでした。
既に近親者で葬儀を済ませたとの事でしたがすぐにでも行きたかったところを例の移動制限で動くもならず、命日であるこの六月ようやく思いを果たせたような次第です。
ご自宅での法要で初めてお会いした御両親は父上がびっくりするほど本人に似ておられ、明るい母上と従妹の方と四人家では見せることのなかったという故人の暴露話に泣き笑いのひと時で、帰省するたびあたくしの事を話していたという彼と、またご両親に向けての供養にもなったかと思いまして。
にしてもですよ
独り身で亡くなったわけですし一人っ子でもあり、既にご高齢のご両親が旅立たれた後彼の生きた痕跡がどこに残るのかと考えれば改めて人の一生というのは何だろう?との思いが募り、それこそあふれるほど思い出を共有しているあたくしがその一端や人となりを書き残すことでそれになるのであればと、更に長くなりますが出来たら浅野っていう男がいたんだなあと心の片隅にでもお留め置き頂ければ幸いです。
浅野と初めて会ったのは立正大法学部の教養課程クラスで、50人ほどいたうちのひとりだったためオリエンテーション旅行で八人ほどの同じ部屋になるまで話したことはありませんでした。
今更ですがもう40年も前の事です。
自然そのメンバーが当初のグループとなり、誰かの部屋で焼肉やろうと話がまとまり浅野の部屋に集まったわけです。もちろん実家が肉屋のあたくしがお肉の係で。
熊谷の田舎にあった学生ばかりのアパートの部屋は入ってびっくり足の踏み場もないほど散らかっており、まずは掃除となりましたがごみ箱が埋もれていて探したくらいでありました。
ひとり用の冷蔵庫では棚三段ぶち抜きで玉ねぎが伸びており、ビニール袋の中からは発酵した果実の良い香りがしたものです。
実生活はそんな具合でしたが人間としてはマメな奴で誰とでも話を合わせることができ、というのも博覧強記というか何でもよく知ってるタイプ。
それでいてひけらかすでもなく飄々として聞き上手なので、滑り止め第三希望くらいの大学にもぐりこんで屈折した仲間の良き相談役になっておりました。
あたくしも講義が早い日の前夜に泊まりに行くようになり、学生らしく酒飲みながら口角泡を飛ばすこともありましたがただ黙って煙草吸ってるだけで何時間一緒にいても苦にならない、そんな関係になっておりました。
熊谷は夏の暑さが厳しいところで鉄筋コンクリートの部屋は風も動かず、ベランダから渡れる隣の棟の屋上でパンツ一丁になり二人で雷ダンスを踊っていたら本当に夕立が来たなんてこともありました。
もっと広くてきれいにしている友達の部屋もあったのですが客が帰ると掃除機かけて布団干すような奴だったりして、狭くて暑くて臭い浅野の部屋に入り浸っておりました。
そういえば失恋した日に浅野を訪ねたら留守でその友達の部屋に行きヤケで飲んだくれ、時効ですけど勢いで運転して浅野を迎えに行ってまた飲んでますと「ちょっと出ようぜ」と。
線路際の道を肩並べて歩いてたら「お前なんで最初に俺んちに来ねえんだよ!」「行ったけどお前いなかったじゃん」「あ、そうか・・・」なんてことも。
ポケットに手を突っ込んで斜にこっちを見ていた姿は今もそのまんま浮かんでまいります。
ハンググライダー部のあたくしに付き合い千葉の磯根崎で初めてリッジソアリング(崖沿いの風に乗って長時間飛行すること)した時、テイクオフのワイヤー押さえていてくれたのも奴でした。
帰りにタイヤパンクして苦労したっけなあ。
再ブームになっていたボーリングにもよく行きまして、これもブームで田舎に出来たカフェバーでブラッディマリー頼んだら「ヘイお持ち!ブランデーマリーね!」なんてんで「絶対こないだまで居酒屋だったよなここ」と二人で大笑いしたなんてこともありました。
人に合わせる方が多い割に芯は通っており骨っぽいところもあり、あたくし行かなかった時ですが夜中の熊谷界隈を車で走っていたら地元のゾクに絡まれ、他の二人が青くなってる中一人出て行って話をつけたという伝説も残しております。
犬猫鳥など小動物が好きで泊りに来た時うちの実家で飼っていたクロベエ(猫)ノンベエ(犬)を可愛がっておりました。
四年生の時なかなかアクの強い奴とつるむようになった時期があって結構影響受けておりましたら、「お前のいいところが消えちゃうよ」と耳の痛い忠告をしてくれたこともあったなあ。
卒業後すぐ横浜で新社会人となったあたくしの山手の部屋にもよく泊まりに来まして、会社があったみなとみらいで再生する前の古い桜木町や関内を飲み歩きもしました。
根っからの酒飲みなあたくしと違い酒そのものより雰囲気が好きなタイプで「とりあえず生」ではなく、なんちゃらフィズだの甘い酒から入るのには閉口でしたけど。
当時「渋がる」と言いまして要するにカッコつけて浸るってことですが、解体予定だった赤レンガ倉庫の近くにあった税関倉庫前の暗い海を見ながら埠頭にうんこ座りしていつまでもタバコ吸って渋がっていた時、「仲間内でだれか早死にしたら墓前にたばこ供えて渋がろうぜ」なんて話しました。まさか奴がそうなるとは・・・。
銀座松屋の裏に奴の職場があったのでそっち方面の外回りがある時は呼び出して一緒にランチしまして、サラリーマンの日常を垣間見たり。
結婚後のあたくしの新家庭にも時折遊びに来ては酔いつぶれてテーブルの下で寝ているあたくしをうっちゃらかしてかみさんと話し込んでたことも再々あり、彼女曰く「あなたの友達の中で浅野さんが一番話しやすい」とか。
なんでも旦那への愚痴を他の友人はあたくしの肩ばっかり持つのに奴だけは公正に話を聞いてくれるんだとかで、おそらくそのあたりの聞き上手さで主に苦労した玄人筋の女性に良くモテた男でありました。
お相手を三人知っててうち一人は残念ながら果たせませんでしたが婚約者として家に連れてきたし、最後の一人はクラパイにも何度か。
「あしゃのん」といういい年した男にあるまじき?甘ったるい呼び名は娘ほど下の最後の彼女がつけたものでした。
そういやその子の引っ越しに頼まれて車出しまして、顎で使われてるの見て「小娘に使われてんじゃねえよ」なんて。
引っ越しと言えば式の直前元カノと切れなくて駆け落ちすると言って学生時代の友達から夜電話かかってきた時も、浅野と二人で駆け付けたものでした。
息子二人連れて男四人の湯河原ツアーの時には風呂の後坊主たちが「浅野のおじちゃんの方が父ちゃんよりチ〇チ〇大きいなあ」なんて ( ;∀;)
いつもノーネクタイの黒っぽいスーツ(部屋干し臭い)着ててカラオケでは「ライヴィアンローズ」ポケットに手え突っ込んで歌い、そりゃいいんですが外遊びの時もそのカッコで来るもんですからN部君と初めてファルトボートで那珂川下るので一緒に行くことになった時「濡れるから絶対スウェットとか着て来いよ!」と言ってたのにいつも通り。
仕方ないからあたくし履いて行ったジーパン貸しましたけどね。
これもN部君と三人スキーに行きまして、北海道出身だからさぞかしと思ったらヘタクソで、そりゃいいんですがコケるとそのまんま座ってて我々が登って行って板履かせてやるまでタバコ吸ってたり。それでいてウェアの胸元雪で一杯なのに一向平気な顔してるとこだけは道産子っぽかったり。
博覧強記と書いたように何を話しても知識では敵わず子供時分から好きだった詩歌の類ならばと、当時凝っていた漢詩の一節をmixiに上げまして
ただ今 ただ西江に月のみあり 嘗ては照らす 呉王宮裏の人
するとすかさず「呉王宮裏の人とは西施の事だな」とコメント。次いで
象潟や 雨に西施が ねぶの花
なんて芭蕉で返しやがりまして、きざな野郎でしたよ。あたしなんぞ最初「ぞうがた」と読んでましたもんね、クッソ~!
啄木の
しんとして 幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍の 焼くるにほいよ
という詩を書きますと
かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 聲の荒さよ
で返しやがって、あたしゃこの詩知りませんでしたもんね。ああ思い出しても悔しい。
あれやこれやきりがないのでもうやめますが思い出すほどにいかにかけがえの無い友であったかが今更思われ、何で死んじゃうかなあ、話したいことが特に最近山ほどあるってのに。
いい奴だったなあ。
亡くなってしばらくして、知らせてくれた従妹の方からセピア色に変色した未投函のはがきが送られてきました。
浅野が旅先の釧路からあたくし宛てに書いたもので、どういうわけか出さずじまいのまま保管してあったのを遺品の中に見つけたという。
奴らしくこじんまりした字で街の様子が書かれており食べ物やワインが美味しいこと、最果てのイメージに反して賑わっているけど夕方霧が出ると運河に映る街灯が寂し気で旅情を誘うこと、翌日は親父さんに借りた車で納沙布岬まで行き帰りに同窓生と会うことなどが綴られ、帰ったらまたいつものように遊ぼうぜと結ばれておりました。
霧の釧路にて 浅野聡 と
飲みながら読んでたら切なくってね~、一人ぶつぶつ話しかけておりましたよ。
帰ってこないだろうからいずれこっちから行くわ。その時はまた飲もうぜ。
俺最初生だけど、お前どうせまたモスコミュールとか言うんだろうな。
じゃあそれまで。またな。
2022年7月21日木曜日
稲村ジェーンと稲川ジューンは似ていると思う
2022年7月16日土曜日
フラれ気分を考える
2022年7月14日木曜日
去ったブームを追う
毎度お古いところで恐縮です。
せんだみつおさんをご記憶の方はそろそろ少数派になっているかもしれません。
あたくしが中学生の頃に彗星のごとく現れ短い時間でしたがものすごく売れた芸能人で、この方は元々マネージャーやっておられたとかで芸人ではなかったのですが、今では放送できないようなお下劣ネタを振り回して多数の番組を持っておられました。
昔の常で一旦飽きられるとそれこそあっという間に消えてしまい、その後は仕事の無いことを逆にネタにして細々思い出したようにどっかの隅っこに出てたりしました。
ブームが去った後の寂寥感でしたね~。
感染再拡大とか言って騒いでますが若者中心に無症状や軽度の風邪程度がほとんどで、第一あの検査に引っかかったつ~だけでいまだに隔離みたいなことっておかしいんじゃないすか?
それでは夢よもう一度というわけで、往年のせんださんのギャグでお別れいたしましょう。
皆さんご一緒に!ナハッナハッナハッ~! 馬鹿野郎! "(-""-)"
2022年7月13日水曜日
議会制民主主義の聖地を見る
学生時代の欧州視察?旅行の時八か国くらい回りまして、イギリス人はその中でも取り分けてデカいなあという印象を持ちました。
なのに
最近ジョンソン首相辞任で映像を見ることの多いイギリス議会の会議場はなぜあんなに狭いのでしょうか?
デカい人たちがそれこそ膝を接するくらい詰め込まれている感じ。
調べてみますとこの前の戦争でドイツ軍の空襲によりぶっ壊されて再建する時、チャーチル首相の意見でああなったんだそうで。
すなわち「日本みたいに広いと居眠りする奴がいるから狭く作れ!」と(ウソ)
2022年7月11日月曜日
仇は別のかたちで取りたいと思う
暗殺などというものは歴史教科書の中の事だと思っておりました。
何も知らずに世間と一緒に騒いでいた頃は嫌いな人でした。
いろいろ知るに連れ逆に好きになり、その後もっと知ってくると大丈夫なのか?と心配しながらも裏切られ続け、それでもどこか期待するところがありました。
退かれて後最近では空っぽ総理の場当たりその場しのぎに対抗する流れの中心におられたのに、それがプッツリ断たれてみると空いた穴の大きさを感じずにはいられません。
安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。
にしてもですよ~、東京は生稲っすか?
太平の眠りはいつ覚めるんでしょうか、もう間に合わないかもしれません ( ;∀;)
今日の川柳です
いくいなを えらぶみんいの ひくいなあ
2022年7月6日水曜日
焼きそばの反対を考える
2022年7月4日月曜日
トップをネックで決める
昨日は久々にお休みということで話題の映画「トップガン・マーヴェリック」を見てまいりました。
とても面白く手に汗握る、だったんですが、途中から笑ってしまいまして。
世界はアメリカ中心に回ってるみたいな?詳しくはご自分でご覧になってみてくださいね。
そりゃいいんですが
あたくしと同い年でありながらトム・クルーズの若々しさと圧倒的なカッコよさがスゲ~んでして、そりゃ俳優ですから金のかけ方が違うといえばそれまでだけどあの年で白いTシャツをあれだけ爽やかに着こなすってのはいったい何なんでしょうか?
更にラフカッコいいフライトジャケット姿と対照的に、バリッとした海軍の詰襟がまたね、素敵 💓
スーツは肩で着るといいますがTシャツはどうなのかと言いますと、あたくし思うに首の太さで着るんではないかと。
実際トムは小柄で細マッチョとはいえどちらかというと華奢な方で、なのにあのバランスの良さはそう、首ですよ。
首が太くてカッコいい方、細い上に頭のデカい方、猪首でほぼない方、絵に描きますとこんな感じ