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2025年4月18日金曜日

百を超えるものを見る

 百分率とは百で割った内のいくつかという事ですから、当たり前の話ですが百より上は無いわけで。

ところが人は時に120%とか口にいたします。

こりゃ今風に言うと最高過ぎる!てとこでありましょう。


マイケル・ジャクソンの「This is it」は彼の死によって未完のうちに終わったツアーのリハーサル映像を集めた映画で、以前見たことがあったけどおススメに上がってたので何気にも一度見たんであります。

正しく世界中から集まったバックダンサーのオーディションから始まりステージの構成が練られ練られていく様子をカメラは追うんでして、その熱量たるや大変なもので見てるだけで圧倒されるほど。

マイケル本人はもちろんダンサー、バンド、照明、その他スタッフの端々に至るまで一切の妥協を許さない姿は感動的ですらあります。

で、なんつっても圧巻はダンスシーンでありまして、あたくし「キレッキレ」って表現嫌いなんすけどそうとしか言いようのないもの凄さ!


一時素人ながらライブもどきやることが結構あったあたくし、コンビ組んでたセミプロの方から本番で練習の六割出せたら上出来と思いなさいと励まされておりました。

60%ね

しかしですよ

マイケルたちの場合はどう見ても120%なんでありますよ。

間違えるなんてのは論外というか想定すらしてないというか、正しく出来るのなんざあったりまえであってその上までどう行くかって感じ。

これぞプロっすよプロ! まあリハーサルっちゃリハーサルなんだけどね。

ただあれね

オーディション通ったダンサー達のマイケルへのリスペクトは強烈ではあっても、彼らも頂点目指す人間として越えてやろうという意思も持っているはずで、それらを後ろに従えて踊るマイケルのプレッシャーたるや想像もつかないことを思えば天才も楽じゃないっつ~か。

だけどカメラ通してうかがえる姿には偉ぶるところは一切なく、ただ良いものを作ろうという強い意志のみ。

度を越した才能と人気と名声がかえって生んだ様々な軋轢の中で、押しつぶされるようにして逝ったあの方に改めて追悼の意を捧げたいと思います。


現場のBGMにマイケルが流れるとあたくし思わずナイフ持ったままムーンウォークしてしまいます。

三歩しか出来ないけど ( *´艸`)






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2025年4月17日木曜日

AとU を語る Uの巻

 A吉のロックンロールが土着に根差した親和性だとするとU也のそれは、出自からして洋楽の和訳焼き直しであるロカビリーという底の浅さ、そもそもはロックに乗らない細い声質、にもかかわらず先達であるということのみによって作られた大物感のもたらした不幸な誤解であったのかもしれません。

改めて動画を探してみるとかつてU也が見出だしデビューに至り、後にスターとなった者たち、沢田研二、ジョー中山、一説にはA 吉もそうであったという、との共演が数多く見られ、それはまるでマンガ「ストップひばり君」における梶先輩のように大学進学後の部活で通用しなかった挫折を母校の後輩たちを訪ねることで埋めるかのような印象をもたらすんであります。

そしてそこに思い至った時、ある想像に胸を突かれたんであります。

後に世に出る才能を見出だす目と耳とを持っていたとすればその客体としてのロックンロールなハートもまた本物であった事は疑いようがなく、だとすればロックスターを夢見ながらもそれが実力的に叶わないことを誰よりも知っていたのはU也自身に他ならず、だからこそステージ以外での奇異な言動や奇矯なスタイルを通じてしか「反動」というロックスピリッツをパフォーマンスすることが出来なかった事がU也の悲劇であったのです。

なおかつ世評はそれを本人の隠されたある種の歪んだ情動と関わりなく「変なおじさん=滑稽or道化」としてしか認識しなかった事もまた、最晩年に至るまでU也をあらゆる突拍子も無い袋小路へと追い込んだのかもしれません。

ここで再びA吉に戻りますと、滑稽という点では実はA吉にもそれが多々見られ、例えば流暢な英語で歌う楽曲を持ちながらパフォーマンスにおいては「OK」「レッツゴー」「カモン」のみが通用語であるかのような突っ込みどころがありながらも「あれだけの天才だからちょっと変わったところもあるよね」という冒頭の長嶋茂雄に通ずるような、得失点差でいうところのU也にとっての失点がA吉には得点にカウントされてしまうという、ここにおいてもスケール感の違いによる逆転現象となるのであります。

長々申し上げて参りましたがかつての銀幕スターが食うためにバラエティー番組で素を晒してまで生き残りを図るみっともなさに比べれば、最後まで膝を屈することなくたとえ笑われようが己を貫いたという意味で、やはりU也はロックンローラーとしての生を全うしたと言えるのかもしれません。

最期に繰り返しますが以上の事は全くあたくし個人の勝手な想像であって、A吉U也の実像は全然知りません。

ごめんU也。 A吉もごめん。


 





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2025年4月16日水曜日

AとUを語る Aの巻

沢木耕太郎「敗れざるものたち」のなかの一編「三人の三塁手」は、長嶋茂雄と同じポジションで同じ時期にジャイアンツに入団し巨星の影でスポットライト当たることなしに消えていった二人を描いたルポルタージュであります。
いつものように現場のエンディングテーマでヤザワが流れてくるとふとこの物語が浮かぶことがございまして。
無論エンターテイメントは野球と違い決まった席数しかない世界ではありませんが、それでも優劣というかどちらが上という感覚は持たれようという。

では誰を思い浮かべるかというと、それが故・内田裕也さんなんであります。

一般的に見れば比べること自体おかしいほどの存在差で端的に言ってスケールがまるで違うん
でありますが、日本におけるロックンロール黎明期から生涯をロックバカ(自分で言ってたし)として走り続けた人生はご本人の想いとは裏腹にどこか上滑りの滑稽さがありそもそもミュージシャンですらあったのか?とも思えるその姿は、70を過ぎてもなお輝き続けるスーパースターの影に隠れヤザワになれなかった無数の三塁手のひとりのように思えるんでありますよ。
時代もちょっと違うけど。

だからといって裕也さんの何を知っているわけではないけれども、あくまで「そんな感じ」としてあたくしがA吉とU也(以下敬称略)について思うところを申し上げたいと思います。
んな訳ですからのU也関係者の方、モックンとかもし読んでたらぐみんなたい。

はたしてA吉のみが持ち得、U也が持てなかったものとは何であったのでしょうか?

それなりに名を成したロッカーが後々やっちまいがちなことのひとつに日本と洋楽の融合ってのがありまして、それはあたかも明治の文豪SO石やO外が西洋近代文明と古来の日本人的感性の狭間で苦悩した如く、さんざっぱら洋楽の真似っこで食った挙げ句なんぼ真似してみても所詮その軛からは逃れられないと知った焦燥を民謡とロックのミックスリストみたいなので乗り越えようとするものの、それは例外なく失敗するんであります。
こりゃ逆説的に言えば訪日客がラーメン食うのにフォークとスプーン使うようなもんで、ヌードルハラスメントとかいってるようじゃ味としては感じられても所詮音を立ててすすり込むという身体行為抜きには伝統的食文化としてのラーメンを理解することは出来ないんであります。
だってさあ、そんなんやらなくたってよさこいソーランあるじゃん。
ここで


A吉の歌をトレースしたことのある方であればある違和感にお気づきになったのではないでしょうか?
例えば「アリよさらば」の中サビ

♪ 俺はごめんだ~ぜぃいい ひとりで~ぃ ゆくぜ~ぃい ♪

そう、こぶしが回ってるんであります。
誤解を恐れず極端に断じてしまうとA吉のロックは実は演歌にカテゴライズされるんであります。

あたくしごときにわかファンともいえない聞きかじりですら気づくこの事実?は、あるいは
A吉フリークの間では決して口にしてはならない一種のタブーなのかもしれません。
あのカッコいいA吉のロックンロールがよりによっておっさんが酒飲んで聞く演歌だと!
とか
かっこいいのは間違いない。

しかしながら、であるからこそA吉のロックはこれほどまでに日本人の心に強く深く刺さるんでありましょう。
こざかしい浅知恵でロックと日本の融合などと言わんでも、A吉のロックは既に我々に土着していたんであります。
そしてこの土着感こそがジャパニーズロックなどという陳腐な名称と一線を画す、まさにA吉の和魂洋才なんであります。

ここに気づいた時、観客総立ちの武道館のステージで「ロックンロ~ル!」を叫ぶA吉と、コマ劇場の舞台で若衆の担ぐ御輿の上に立ち「ま~つりだ祭りだ祭りだ!」を歌い上げるSAB朗の鼻の穴の形が同じく見えてくることでしょう。

だからといってA吉のロックンロールが井の中の蛙であるわけでは決してなくその海外進出において世評以上の成功を収めた事実は動かしがたく、とはいいながらかつて国内では無類の強さと絶対的人気を誇りながら海外雄飛ではことごとく失敗に終わった一人のゴルファーとキャッチフレーズに関してある符合を見るのは何ものかを暗示していると言えなくもありません。

すなわちビッグとジャンボという。

 Uの巻に続く









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2023年8月21日月曜日

モップをかぶる

子ども時分ビートルズごっこというのがありまして学校の掃除用モップかぶって箒を抱えギャーギャー叫ぶという。
こりゃ周りの大人の話を耳にしてそういったもんだと思っていたようで、今では古典とすらされる名曲を数多く生み出した唯一無二のバンドであったものを。

時は流れて自分がじいさんになってみると今どきの音楽が理解できませんし、既にビートルズ知らない若い人も多いようで。
勢い昔聞いてた音楽を繰り返し聞くといった老いるショック(みうらじゅん氏による)状態で、60年70年代の洋楽などユーチューブで流してみたり。

例のこれも好きかも?で類推された中にベイシティローラーズが出てきまして、中学生の頃特に日本で大人気だったまあアイドルバンドになるんでしょうか?
今見ますとまだ体もできてない、どっちかというとあどけないお兄ちゃん達がタータンチェックの間からビーチク見せて並んでおりまして。
演奏聞くとほとんどレコードの口パクで本当に弾けてたんだろうかという感じで、おっさんになてからの写真と比較されて取り上げられるケースがまま見受けられ晩年はその線で時折思い出される「あの人は今」的存在であったようです。
そりゃいいんですが

ボーカルのレスリー・マッコーエンとハリポタのダニエル・ラドクリフが非常によく似ていることを発見いたしました~!








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