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2013年5月22日水曜日

読後感する

非常に感動した本があったので久々にレビューで読書感想文書いたら、ブログ書く時間が無くなってしまったのでそのまま転載します。何やってんだ?


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


評価

七百頁に及ばんとする大著であるが、ダレ場というものが無い。全編を通じて著者の熱い情熱が貫かれているからだ。それは一にかかって歴史の陰に忘れ去られた不世出の柔道家、木村政彦の名誉を回復せんとする信念である。
この作品は、比喩で無く近代人類史上最強の男の生涯をたどりながら、戦前戦後から現代にいたる柔道と格闘技の歴史を背景にして、牛島辰熊、木村政彦、岩釣兼生と続く鬼と呼ばれた師弟を軸に、プロレス黎明期のスーパースター力道山と激しく交錯する瞬間を描ききった渾身のノンフィクションである。
自身柔道家である著者の熱意は、木村を敬愛してやまないがゆえに時として哀惜の念に流されそうになりつつ、しかし極めて綿密に積み重ねられた取材と関係者からの証言によって強い説得力を持って迫って来るが、その感情の揺らぎが、もう一つこの作品の魅力となっている。
プロレスはフェイクゆえに、リングを照らすライトが眩ければ眩いほどその作りだす影の闇は深く濃い。狡猾なまでの上昇志向で力道山はそれを利して己の姿を浮き立たせたのに対し、木村は豪放磊落な武家の商法ゆえにその闇に飲み込まれてしまったのである。
戦争は様々なものの運命を狂わせたが、軍国主義教育との密接な結びつきを指弾された柔道は、スポーツに特化することで生き残りを図った講道館のみに収斂され、かつて鼎立していた武徳会、高専柔道の消滅によって寄る辺を失った武断派の柔道家達はプロ結成と失敗、その後のごたごたの中で生きる場所を失っていった。そして独り勝ちの様相を呈した講道館の柔道正史の中から牛島や木村の名前は消されてゆく。しかしその反面戦前の思想が無ければ、天皇杯制覇に向けての牛島の執念と木村の三倍努力による怪物的強さの誕生も無かったのではなかろうか?その鍛錬のあり様は努力などという言葉をはるかに超えている。ここまでやっても人は死なないのかと思わせる程の凄まじさで、読んでいる方が疲労困憊してしまう。その系譜は後に愛弟子岩釣へと受け継がれ、全日本選手権を制する事になるのだ。
講道館創設者嘉納治五郎が、実は打撃系を含む格闘技武道として柔道を残そうと考えていた事は驚きであった。その思想は遥かな時と距離を経て現代のブラジルでグレイシー柔術として結実したが、一族が最も尊敬する格闘家として木村の名を上げた事で、その影に木村の存在があったと世界中の格闘家の知るところとなった事実は、歴史の皮肉としか言いようが無い。
終章にかかって木村の最晩年にいたるところから、著者の筆はまさに泣かんばかりになる。しかし読者は最後の最後に用意された隠し球によって、不遇のうちに逝った木村政彦の魂が鮮やかに救済された事を知るのだ。
巻末に掲載された写真の子供を抱く笑顔がいい。
傑作である。

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