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2017年10月26日木曜日

著と有を考える

あたくしどものネットショップを覗いた方はお思いかもしれません。ボンビーガールあれっぽっちしか映らなかったのにやたら大袈裟に放送記念セールとか打ってると。
あれはですよ。
これまでの経験上放送後の反応がすごいという思惑で、予めホームページの制作会社と打ち合わせて事前に用意したものなんです。まさかここまでスカ食らうとはね~ ( ;∀;)

このように大袈裟な仕込みに対して大山鳴動して鼠一匹的なオチというのは実に締まらないものですが、反対に例えば紙切れ一枚が後に大変な価値を持ってしまうような話は誰もが好きでワクワクしますよね。
ジョンレノンが喫茶店の紙ナプキンに書いた落書きにべらぼうな金額がついたオークションなど有名で、つい一昨日ではアインシュタインが滞在先のホテルで届け物を持ってきた日本人の配達員に渡したというチップ代わりの書付が一億八千万で落札されたそうです。
これって冬物のコート久しぶり出したらポケットに買ったの忘れてた宝くじが入ってて、締め切り前日だったと見てみたら50億円当たってたみたいな棚ボタ感もさることながら、居酒屋のおやじが一文無しの汚なじじいが飲み代替わりに描いてよこしたスケッチ持って画商に行ったら実は著名なる日本画の大家だったみたいな水戸黄門的面白さもありますな。

ところでこの「著名な」に関しまして、昨日あたくしのブログにいただいたある方のコメント読んで思うところがありまして。
なんでしょう?「著名な」に比較して「有名な」と言った時に感じる格落ちな感じって。
先ほどの画家で例えますと「著名な」画家の場合文句なく絵そのもの大家ですが、「有名な」画家の場合は四割くらいワイドショーっぽい響きが入ってしまいます。
例えば離婚再婚三度繰り返した女たらしというだけで絵は下手糞でも有名には違いないわけで、「うちの兄ちゃん地元じゃ有名な不良だったんだよ」とは言っても「著名な不良だったんだよ」とは言いませんもんね。
やはり「著名」とは著しい何事かがあってこそ得られる名声ってことでしょうね。

ただね。著名も重なるというと一気に名声からお下劣な世界に堕ちてしまうのです。

チョメチョメってね。

山城新伍かっ! ( ;∀;)




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