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2015年12月24日木曜日

哀しき男を聖夜に想う

朝っぱらからイブだイブだ喧しい世間でございます。適齢期?の男女半分は独り身だという割にはやっぱり浮かれておりますな。山下達郎大忙しって感じ。
50過ぎて子供が成人するようになれば、んなこたあど~でもいいようなもんですが世代的にピンククリスマスど真ん中だったあたくしとしては未だその呪縛から完全には逃れえぬと申しましょうか。

昭和40年くらい物心つく頃には既にクリスマスプレゼントなんて子供らも騒いではおりましたが、カップルでどうこうってなことはまだなく、どっちかというとオヤジさんたちがキャバレーで飲んだくれる日だったようであります。プレゼントにしても長靴に入ったお菓子とかでしたもんね(佐賀弁)
当時現役だった戦中派の男たちの話を、その子供であった団塊世代として語った話を例によってラジオ番組で聞きました。

文化放送朝の「武田鉄矢今朝の三枚おろし」は主に氏が読んだ本と、そこから広がる思索を名調子で語るなかなか勉強になる番組です。先週取り上げたのは「父という病」という本。
鉄矢氏いわく団塊の世代とは父親を追放した世代だと。父親が大っ嫌いだったという自身の体験から、慙愧の念と共に今にして思えば実はという話をしてました。

当時の父親たちは駆り出された戦場から命からがらやっとの思いで故郷に帰ったもののそこは焼野原で、今日食う物にも事欠く中で懸命に働き家族を養いました。
しかし子供たちは戦後の学校教育の中で民主主義に染まり、日本をこんな目に合わせたのは戦争した君たちの父親たちだと実際に言う教師もいて父を軽蔑し、人に言えぬ傷口を抱えて逃げ込んだのはあたしも漫画でしか知らない軍隊酒場だったのです。
ボーイは部下の兵隊ホステスは従軍看護婦に扮し、二等兵だった鉄矢の父もそこでは上等兵、かつての戦友や上官が集っては戦地やその後の人生の苦労を慰め合ったという。
わずかな給料の中からそんな下らない場所に金を使い酔っぱらってはくだを巻く父を、鉄矢少年は心底軽蔑したと言います。それが戦争で狂わされた人生の嘆きをほんの少しだけ晴らす場であったと今になって理解したと。
「永遠のゼロ」の中でも、子供の運動会で応援席に座った父親たちがわずか10年前には銃を担いだ兵士だったと互いの姿を認め合い、帰れなかった仲間を思って歯を食いしばり慟哭するシーンがありましたよね。

後にフォークや映画を通じてメジャーになった息子を連隊長が褒めてくれたと、涙ながらに喜んだ姿を語る時には声が湿っていました。

文字通り血肉を分かった母子は理屈抜きで通じるものがある一方父親という立場は微妙に仲間外れで、加えて男というものの情けなさ、哀しさ、滑稽さが時に理解不可能なものとして隙間を広げてしまう事があります。それが愛すべきものと解されるとしても、もう間に合わないのかもしれません。
あたし自身子供らに誇れる何物も持たず、夜毎酔い痴れては時々椅子や床で寝てしまう姿を情けなく見られているに違いありません。
でもね。死んだ後でもいいからほんの少しだけ懐かしく思い出してくれるなら、それはそれでいいかと思いますよ。男同士だしさ。

来週には年が暮れます。古典落語の語る時代から甲斐性無しの男たちは「来年は 来年はとて 大晦日」と飽きず懲りずを繰り返してきました。
昔々のクリスマス、三角帽子に折詰下げて千鳥足で歩いていた全ての男たちを思いつつ今宵はネコと飲みますかね。

 来年は 来年はとて クリスマス

今年もまたトホホホホ・・・・(T_T)





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