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2017年6月14日水曜日

己の七光りを想う

あたくしの落語の師いばさく師匠から教えてもらいまして、昨夜BS放送のドキュメンタリー・アナザーストーリーズを見ました。タイトルが「落語を救った男たち 天才現る!古今亭志ん朝の衝撃」

流行り廃りはどんな世界にもありこのところブームと言われている落語も例外ではありません。というか何度も大きな波があったようで子供時分から好きなあたくしも実際の寄席に足を運んだのは大人になってからでして、身の回りを見ても同年代に落語が好きなんて人間はおりませんでした。

志ん生、文楽、圓生、昭和の大名人達が頂点を迎えていた昭和三十年代、その裏では戦争の影響で中堅どころの年代に噺家がおらず、高度成長期を迎えた社会には多様な娯楽が生まれて時代遅れの寄席に客足はさっぱり。閉じる演芸場が続出するなか落語界の幹部連は強い危機感を覚えておりました。
そんな頃二つ目に昇進し実力を発揮しつつあった志ん朝は端正なルックスと明るいキャラクターで人気上昇中、ラジオや黎明期にあったテレビドラマなどに次々とオファーが舞い込んでいました。
これに目を付けた幹部連はなんと噺家五年目の彼を真打にすることで落語人気の復活を図ります。

落語調でやりますと、こいつぁ驚いた!
前座修行だけでも十年とされる落語界にあって17人抜きの大抜擢でございます。
それでなくとも口さがない芸人の世界。志ん生の息子だからって親の七光りかよ?当然辞退するんだろうな!先輩たちからの嫉視の中、それでも毅然としてこれを受けたという。
日ごろ人一倍シャイで自ら芸を語ることのほとんどなかった彼の中のプレッシャーははたしてどれほどのものであったでしょうか。

こうして訪れた真打披露で高座にかけた演目が「寝床」と「火炎太鼓」だったのです。
ご存じない方に一応申し上げますと、桂文楽と古今亭志ん生は共に名人の中の名人といわれた二枚看板で、一点一語をゆるがせにせずひとつの噺を完璧に作り上げる文楽と、ぞろっぺえと呼ばれ天衣無縫の語り口で生き方そのものが落語であった志ん生という対照的な二人の十八番がそれぞれの噺でありました。
真打披露でこの二つを掛けた志ん朝の、それは今後の落語界を背負っていくのは自分であるという高らかなる意思表明であったのでしょうか。それとも抜き差しならない場所に自分を追い込むための鼓舞でありましたろうか。
この放送でその日の高座を記録した幻の音源が初公開されておりました。口跡、艶、リズム「これが25歳の若僧の芸か!?」あたくしはもちろんその日その場に居合わせた聴衆の誰もが息を飲んで、天才出現の衝撃に身を震わせていたという。
それからの落語会は飛び越えられた先輩たちが次々に真打に昇進しあいつにだけは負けられないと丁々発止百花繚乱の活況を呈し、談志、円楽、文蔵などその後の落語会をけん引した噺家が生まれたということです。

様々な人々の証言の元に実に見ごたえあるドキュメンタリーでありました。
それにしても落語で親から子への世襲はいかがなものかと考えておりましたあたくし、ちょいと思い直しましたかね?今度こぶ平・・・じゃなくて正蔵もきいてみようかしらん。なんつってもあたし自身出来の悪い二代目ですからね (*_*;






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