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2015年3月26日木曜日

己の内なる暴徒と向き合う

このところ風呂読書で吉村昭の「関東大震災」を読んでました。それより遡る18年前の群発地震から書き起こし、日本地震学の草分け大森博士が弟子の今村との葛藤の中、予知できなかった慙愧の念の中で亡くなるまでを描いた迫真のノンフィクションです。
実際に体験した人々の覚書による被害の様子は実にどうも悲惨極まりないもので、火災旋風で有名な本所被服廠跡の悲劇の描写などは、筆で表されながらも筆舌に尽くしがたいというパラドックス。火災を広げた原因が実は、避難民の持ち込んだ家財道具であるという事実には驚かされました。何層にも折り重なった遺体の下でようやく火から逃れられた人物の証言。この場所だけで五万人もの人が亡くなったという。
同様の原因で次々に焼け落ちる橋、飛び込んだ遊女の遺体で埋め尽くされる吉原の弁天池・・・。
今回の震災では津波の恐ろしさを嫌というほど目の当たりにしましたが、都市火災の恐怖というのもまたこの災害が教えてくれました。揺れたら火の始末。大事です!
とはいえ全然知らなかったけど、当日津波被害も甚大だったんですね。横浜、湘南。国府津では乗客の乗った列車もろとも駅が海に崩れ落ちたそうです。読むの苦しくなりました。

そしてある意味では自然災害より恐ろしい、人心の惑乱による世情の狂乱。通信網の壊滅で途絶した情報は人々の心に様々な憶測を呼び、通常では考えられないような流言飛語を巻き起こしました。日韓併合で芽生えた罪の意識は、逆に朝鮮人労働者の謀略説となって人口に膾炙。防衛のためと称し各地で組織されたあの悪名高い自警団は次第に暴徒化し、通行人への誰何、暴行、殺人、略奪へと暴走。朝鮮人、日本人、官憲まで多数の人間が殺されてしまいました。
更に死者の体や持ち物から金目のものを持ち去る者、単なる興味本位で被災地入りしては食糧事情のさらなる悪化を招く者も続出。政府は治安の回復に躍起となりますがあまりの被害規模に遅々として進まず、業者による売り惜しみやつり上げで跳ね上がる物価など一時的に完全な無法、無秩序地帯と化したのです。

しかしですよ。今回の震災後に世界から称賛された、従容として秩序立った日本人の姿となぜこれほどまでに違うのか?例えば自警団の中心となった在郷軍人会や青年団など武張った集団があったにせよ、組織立ったという意味では有象無象とは思えず、大正当時の人間が今より粗暴だったのかといえば、公衆道徳的な堕落が嘆かれる現代社会よりもむしろまともだったのではないかと思えてならないのです。大正デモクラシーは利己的日本人を生んだのか?
思うにこれこそ都市型災害というものなんじゃないでしょうか?帰宅難民となり遠路を歩く時には黙々と並ぶことはしても、周りのビルが火に包まれ煙に覆われていたとしたら、我先に逃げ走り、時には他人を踏み台にしても助かろうとするであろうことは想像に難くありません。

流言飛語と人心の荒廃については、あたくし懺悔と共に振り返るんであります。
あの日、あたしのいた四谷の駅ではお台場が火の海だという噂話が乱れ飛び、翌日にはコンビナート火災により硫酸の雨が降るという情報がネットに流れました。はい、あたしも拡散しました。
そしてガソリンの不足。近所のスタンドにローリーが着いた四日目、やっと営業車に給油できると並んでるあたしの前に横の路地から割り込んできた車が。すぐ降りていって口論になりまして。車から引きずり出してやろうかと思ったんですが、会社の近くだしさすがに立場考えてやめました。
そいつはしばらくして待ちきれずにどっか行っちまい、やがてあたくし考え込みました。もし明らかに自分より膂力に劣る相手と見ていたら、更にそうでなかったとしても、もし周りの人間が自分に同調していたら、果たして罵るだけで済んでいたのかと・・・?

日頃東北応援してますなんていい人ぶってますが、一皮剥けばこんな自分がいる訳です。
ヘイトスピーチ、通り魔、街にある不穏な何かがその時頭をもたげてくることでしょう。
深く深~~く、自戒するんであります。

ためになったなあ、この本。

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