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2014年11月19日水曜日

巨星に捧ぐ

高倉健が亡くなりました。
全てと言っていいメディアが、多くの時間なり紙面なりを割いて伝えていることからもその喪失感の大きさが伺われますが、あたしとしても実に大きな衝撃を受けたんであります。それはこれまでの時代を象徴した大スター達の訃報に接した際の、ああまた昭和が遠くなったなぁという感慨とは全く違った感覚でした。
剛毅木訥仁に近しと言いますが、寡黙ゆえに雄弁なその背中が、男子かくあるべしという大きな道標であったからなのでしょう。加えて銀幕という言葉自体斜陽を迎える中、落日と共にそれぞれ生きる術を求めて人の世に降りてゆくかつての星々たちの中にあって、常にスクリーンから語りかけた健さんは現役であり続け、決して過去の人ではなかったからなんだと思います。

様々に演じ分ける能力を名優の条件の一つとするなら、健さんはそこにはいなかったと思います。役に合わせるというより役が合わせてくるというほどに、何を演じても「高倉健」である事で観客は、「高倉健」を通してその作品世界を理解し、特に「幸せの黄色いハンカチ」以降の作品に見える如く、優しさとは強く、それ以上に哀しいからこそ輝くものなんだと知ったんじゃないでしょうか?

明大に空手の小田ありと、硬派に恐れられた学生時代。叙勲の席での前科者役者?発言。放埓な生き様を含めて魅力だと命を縮めた星々の中にあって、長く勤めることこそ役者だとストイックに全うした生き様。やはり男は男であって漢であるんです!
去勢されたオス達が時代に尾っぽを振って右往左往する昨今に苦言を呈しつつ、追悼の似ている川流で〆たいと思います。

 去勢オス 尾っぽ振るなら だから苦言 と 巨星落つ 男ぶりなら 高倉健 は似ている

健さん、長い間お疲れ様でした。そしてありがとうございました!ご冥福をお祈りいたします。


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