姪っ子が子連れで戻って来ますと実家は赤ん坊一色となり、歩き始めた彼を囲んで実に和やかな空気。
親父が存命なら喜んだろうなあとか思いつつも。
その分帰ってしまった後は椅子や遊び道具が残されちょいと淋し気な風情であります。
子供等が つくり置きけむ水車 夕の溝に ひとり廻れり
何となく亡きじい様の歌を思い出しまして。
それにしても子供のグッズってのは見るからに夢いっぱいで子供の目線というよりも、作り手がそうあってほしいと願う形とも思えるんでありますが。
そこで連想するのが奈良平安から残る古の寺社なんであります。
仏像など現代の目で見ますと地肌もあらわに黒光りする枯れたわびさびって感じですが、当時は背景からして極彩色に彩られていたそうで全部含めて曼陀羅のような。
復元されたものを見ますとモノトーンを見慣れた目にはケバくも映るけど、色彩が限られていた古代において極楽浄土のイメージを焼き付けようという仏師の思いがそこにあったという。
とはいえ金だの銀だのは無くとも四季の花、山の木々、夕焼け、澄み切った空、満天の星、紅葉など身近にある色彩は限られていたどころか今よりずっと豊穣であり、それを映す虹彩は現代人よりもむしろ多感であったろうと。
あおによし 奈良の都は咲く花の 香るが如く 今盛りなり
昔に人だからって単純ってこたあないやね。
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