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2016年5月26日木曜日

読後感する・「羊と鋼の森」

以前朝日新聞日曜版の書評欄を毎週読んでおりましたので、読書感想文となるとどうしても硬いというかスカした感じになってしまいます。バカのくせに偉そうに書きますが例によって鷹揚にお聞き流しの程を願っておきます。


ギターで弾き語りのまねごとをするようになってスピッツの曲を弾いた時、あの繊細なフレーズが実に基本的なコードだけで構成されていることに驚いた。この作品を読んでまず最初に感じたのはそのことである。難解な比喩も過度な修飾もなく一見単純な言葉で紡ぎだされた文章であるのに、それぞれのセンテンスが時に涙を誘うほどに胸を打つのである。一文一文が詩のようだ。

今年の本屋大賞を受賞した本作。偶然の出来事から調律師を目指すことを決意した主人公は北海道の山間地域の出身で、自然に恵まれたというよりそれしかない環境で中学校までを過ごし、慣例に倣って高校から町で暮らすようになった青年である。調律専門学校卒業後就職した楽器店で働きながら、自分の目指すべき調律を探している。
音楽教育を受けたわけでもなくピアノ曲さえほとんど聞いたことのない彼は、ただ単にピアノの音が好きだというだけの理由でその道にのめりこんでゆく。職場の先輩たちや客先で出会った人々との関わりの中で様々な経験を積んでゆくが彼の中心に常にあるのは生まれ育った森の風景や音であり、それが特別な才能を持たないと自覚する自身の中の何かと共鳴し合い次第に自分の「音」に目覚めてゆく。

以前放送されたテレビアニメ「中華一番」というグルメ物の中では美味を表現するのに、竜が飛翔したり鳳凰が火の中から再生したりと過剰に劇的な画面を用いておりそれがウリともなっていた。
味というものを人に伝える手段としてこのように視覚に訴えるという飛び道具的手段はある。
では音はどうであろうか。この小説は例えば鈴を転がすようなといった表現は用いない。直接的に「ような」を使うのではなくそれは、野に寝て木の実の落ちる音を聞いた秋の始まりの夕暮れであったり寝もやらず布団に丸くなっている時の山をどよもす風の晩であったりと、主人公が育ち経験したことの中から読み手が受け取る感覚なのだ。
焚き火の火を見て誰もが落ち着いた気持になるように人が動物として原初体験に共有しているのが森の中の暮らしであるならば、それが呼び覚ますものもまた共有されているのかもしれず、だからこそ読む人間にもそれぞれの音が聞こえてくるのかもしれない。

そしてまたこの小説を絵画に例えるなら印象派である。点描で描かれたその風景は小さな影を内包して光にあふれ静かで、そして限りなく透明で優しい。








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