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2014年11月6日木曜日

周縁的世界を思う

「漂白される社会」という本を読んでます。「フクシマ論」に続く、気鋭の社会学者開沼博氏による著作の二冊目。


テロからも内戦からも遠く一見自由で平和なこの国に停滞する閉塞感を、あってはならぬもとのしてそれでも存在し続け、更にはかつて放っていたダーティな色合いを漂白されながらも決して無くなることのない周縁的な存在に着目する事で、社会学的に考察したルポルタージュ色の濃い内容です。
いきなし頭いいふりしつつ自分でも何言ってんだか分かりませんが、今朝がたのニュース見て思いましてね。犬の死骸がまた大量に捨てられてたっての。犬種聞いたらミニチュアダックスとかトイプードルとか?以前あったペット葬祭業者による遺棄事件とはまた違うという。だったら何故かってのはおのずと想像つきますもんね(佐賀弁)ほんとに胸苦しくなるような嫌悪感しかありません。

先日愛犬亡くした時も強く感じましたが、方や夜中の救急外来に詰めて高額な治療費払っても手厚く介護され、最後は泣きの涙で家族に看取られる一頭もいれば、売れ残りとして処分され、挙句の果ては山中に放り捨てられる多数もいる。命の重さって何なんでしょうか?
ペットショップを覘けば愛らしい子犬達が沢山遊んでいます。どの犬も良い飼い主に恵まれて幸せになって欲しい。とは言え現実問題として残ってしまうものが必ずいる訳で、するとどうなるのか?
一見ほのぼのとして可愛い世界の裏にある、あってはならない、あっては欲しくない周縁的世界がそこにもあります。短絡的な嗜好で買って、飽きたら捨てるというのもまたその一つですが、商業ベースに乗っかっている以上関わる誰もが無縁とは言えないのかもしれません。

けどさ。屠畜場にだって獣魂碑があって年に一度は慰霊祭やるくらいだもの。どんな形であれ、命に対する以上尽くす礼ってものがなきゃいかんよね。
てめ~らの心も漂白しやがれっ!!(怒)


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