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2016年3月31日木曜日

二つの大口に想う

昨日「ビッグマウス」モハメド・アリの事を書きまして今日はもう一つのビックマウスについてのお噂。このジャンルについては造詣深い方が方々におられ、しかもこだわりが強いのであやふやな知識の開陳ではきっと叱られると思いますが、例によって鷹揚にお聞き流しいただければと。

高校生の頃FM東京のラジオドラマ「音の本棚」を録音しては聞いており、B・Tモントフ作「High」という作品が原作のドラマのバックに流れる音楽に強く感動しました。後にそれがサッチモことルイ・アームストロングの「明るい表通りで」だったことを知りジャズを聴くようになりまして。
現在のゆるキャラ的な特徴ある風貌と明るいキャラクターでジャズを聴かない人にも広く知られ、世界的人気のあったルイ・アームストロング。


彼の歌う「what a wondeaful world」 は味のある嗄れ声と対照的に美しい旋律の妙でスタンダードナンバーとなっており歌い手としての側面が一般的ですが、ラグタイム、デキシ―ランド、スウィングへと続くジャズの黎明期からモダンジャズの時代に渡って巨大な足跡を残した偉大なトランペットプレイヤーでした。
特に「ウェストエンド・ブルース」はモダンジャズへの新たなスタイルを開いた歴史的名演奏とされ、ラストのキャポッというミスノイズまでもが有名です。おそらくその頃のスタジオというのは今に比べてかなりラフで、もう一つルイの専売特許であるスキャット唱法が生まれた時の録音でも周りの笑い声が録音されてしまっています。歌詞を忘れて苦し紛れにドゥドゥドゥパパパァ~と歌う姿にこらえきれず笑ってしまったんですね~。それが後々ジャズの新しい唱法となったんですから偶然の産物とはいえ、やっぱ名を成す人はどっか違うんでしょう。

レコードの時代、あたくしが絶対お勧めしたいのがこちら「エラ&ルイ」!


全曲エラ・フィッツジェラルドとのデュエットで編まれたこのアルバムは全編まさにセピア色!シンガーとしてもプレイヤーとしてもルイの真骨頂といえる傑作です。
デジタル音源でも出されているようですが是非あのプツプツいうレコードの、温かみのある音で聴いて欲しいです。
ちなみに初対面の時エラがルイの巨大な口に驚いて「such a big mouth!」と叫んだのがあだ名のサッチモの語源になったとか。ジャケット写真でも小柄な愛されキャラですな。

人気の高まりと共にサッチモはアメリカの音楽大使として世界を回りました。しかし人種差別問題に関しては一切公式のコメントは残していません。一部の仲間からは白人のペットなどと揶揄されたこともあったようです。
そもそもジャズが生まれた背景は黒人奴隷たちの労働歌や教会での讃美歌にあり、天性のリズム感によって彼らなりにアレンジしたゴスペルに端を発します。南北戦争後遺棄された楽器を手に野辺の送りや酒場での演奏に興じるうちそれがラグタイムとなり、デキシーランドとなりジャズへと繋がっていきました。その根本にあった黒人の涙とソウルをサッチモが意識しなかったはずはありませんが黙して語らずだったんですね~。
その点同じく世界を制したアリが強烈な個性で攻撃的に訴え続けたのとは対極にあったわけで、二つの大口の片方は口角泡を飛ばし片方は閉じたままであったという。

同じルーツを持つブルースがロックへと変化を遂げる中で、若者中心に音楽を通じて生まれた黒人へのリスペクトが世界を変えていったことを思う時、韓流ブームと相まってあたくしの中にはある感慨が生まれるんであります。
即ちそれこそが北風と太陽なのではないかと。自由と平等!地には平和を!

 


 

2016年3月30日水曜日

黒い電光に想う

そういう訳でBS放送導入したもののどうにもトホホな映画が多いんでして、晩飯の一時を豊かに過ごそうってんで見てはおりますもののなかなかこれってのが無いんであります。
先日「アリ」というのをやってまして途中からだったし出来としては月並みでしたが、あの伝説のキンシャサ戦を現代の映像でじっくり見られたのは良かったです。若き日のウィル・スミスが驚くほどアリに似てて、その肉体美にもうっとり。変態かっ!


ベアナックル(グローブを着けない素手の殴り合い)時代のジャック・デンプシーに代表されるごとくそれまで大男同士のベタなどつき合いであったヘビー級に、「蝶のように舞い蜂のように刺す」華麗なフットワークのアウトボクシングスタイルで革命を起こしたカシアス・クレイ。その名は奴隷時代のものであるとして後にモハメド・アリと改名した彼は、対戦相手への容赦ない舌鋒や黒人差別に反抗してオリンピックで獲得した金メダルをドブに捨てるなど常に注目を浴びる存在で、ド派手なKO予告などbig mouthとあだ名されていました。
宗教上の理由に加え同じ被差別のアジア人と戦いたくないとベトナム戦争に兵役拒否したことでタイトルを剥奪され、ボクサーとして最も実り多いはずだった五年間を無為に試合か遠ざけられた後、既に下り坂にかかった32歳でめきめき頭角を現しつつあった若きチャンプ、ジョージ・フォアマンと再起をかけてアフリカはザイールのキンシャサでタイトルマッチに挑みます。
殺人的強打を誇るフォアマンに対しアリはロープを背負って巧みに相手のパンチをかわしつつ、連打に次ぐ連打で疲れの見えた八回、フォアマンの一瞬の隙を逃しませんでした。狙い澄ましたストレートたった二発!絶対不利と言われた事前の予想を見事に覆す奇跡のノックアウトで、アリは世界ヘビー級王座に返り咲いたのです!
当時の映像を見ても一見一方的に攻めまくっているように見えて次第に疲れの出てくるフォアマンをしきりに挑発し、的確なショートパンチで更にスタミナを奪う様子が見てとれます。口が立つだけでなく実にクレバーな戦いっぷりですね~。
https://www.youtube.com/watch?v=yAKEmR27iro

破れたフォアマンは失意のうちにその後の一時期を牧師として過ごしますが、実に40歳を過ぎてからアリ同様奇跡のカムバックでヘビー級王座に返り咲いています。
ちなみに若き日の沢木幸太郎は、後に数多くの世の若者を放浪の旅に駆り立てることになるその著書「深夜特急」の旅の途中にあって、中央アジアの片隅の国で電気屋の店頭に置かれたテレビでこの試合を見ていました。遥かな後年前述のフォアマンの試合をライターとして取材し作品にすることになるとは、まさに偶然のなせる技ではありませんか。
あの~、例によって記憶のみ頼りで書いてますんで間違ってたらぐみんなたい・・・。

まだ強固な人種差別の残る時代のアメリカにあってとかく注目され当局から狙われながらも、、決してぶれず己が信念を貫き通しその拳で再び栄光をつかみ取ったアリは、20世紀最も偉大なスポーツ選手としてその名を歴史に残したのです。かっちょいいですねえ~!
ロス五輪の開会式のサプライズで登場した時にはパーキンソン病(一説にはパンチドランカー症状とも)で現役時代の電光のような姿からは見る影もありませんでしたが、国家をしてオリンピックという国を挙げての祭典に彼を呼ばしめた事実は、かつて黒人として差別し続けたアメリカが今どのような思いでアリを見ているかを思わせます。
たった一人のボクサーが歴史を変えてゆく。あの大統領はあんまし変えられなかったみたいだけどさ (^_^;)

それではみなさんご一緒に!せ~の、ア~リボンバイエッ! ア~リボンバイエッ!ア~リボンバイエッ!









2016年3月29日火曜日

始まりの始まりを見る

昨日は板橋区前野町にできた子ども食堂・わくわくランドのプレオープンの日でした。


スタッフの方との最初の出会いが2月29日のフォーラムですから、それからわずか一か月足らずの短期間でのスタート。みなさんの並々ならぬ気合の入れかたが知れようというものです。
とはいえ決して肩に力が入り過ぎる事もなくお客さんはもちろん運営側もみんなそろって楽しくやるのを第一に据えておられ、それでも「このままじゃいけない、なんとかしなきゃっ!」という熱い気持ちがビンビン感じられましてあたくしのような単細胞はすぐ感染したんであります。
準備の始まる3時にいったん肉をお届けし仕事終わるのじりじりしながら待って、またそういう時に限って終わらないもんですな。七時過ぎてようやく出られまして。

昼間はデイケアでお年寄りの憩いの場となっているマイ・ハンズさんを、主催者の一人でもある社長が開放して会場にするという。プレだから関係者の大人がほとんどなんだろうなあと思ってドアを開けますと、にぎやかに遊ぶ子供たちの姿が先ず目に入りまして事前に打ち合わせしたスタッフの方が「いや~こんなに来てくれるなんてびっくりですよ!」と満面の笑顔で迎えてくれました。しかもチケットにはあたしの描いた絵を使ってくれてまして感激~! (写真お借りしました)


あたしが好きなんで勝手に決めたチキンカレーのお味もまたグッド!スムージーにした野菜もたっぷりです。





しかもフルーツには愛媛の甘~いみかん「はるか」が!実は「はるか」はあたくしの大好物でございまして、この良き日に出会うとは深いご縁を感じずにはおられません、はるか~♥あははははは。

フォーラムでお会いした他の地区で子ども食堂始めようという方たちとも再会し後日を期すなど、店じまいの八時までわずかな時間でしたが楽しく過ごしたんであります。それから片付けるんだから皆さん大変です。
しかしあれだね。みなさんこちらが恐縮するくらい感謝してくれましたが、偉いのは実行してる皆さんの方であたしゃいつも通り不純な動機(才谷屋さんって偉いわねと女性から言われたいという)で美味しいとこだけつまみ食いしてるだけっすから。
とはいえ不肖才谷屋、及ばずながらこのネットワークをお支えする柱石の一つとなるべく一生懸命頑張りまっしゅ!

前野町子ども食堂わくわくランド、次回開催は来月・4月25日です!

 



 

2016年3月28日月曜日

夜風に人生の意味を知る

子どもが初めて歌い出した頃の歌というものはたどたどしさも可愛らしく、幼稚園くらいになると音程も取れるし親の前でもまだ歌ってくれて、後々思い出すにつけ心がじんわり暖かくなるものです。
あたくしにとって二人の坊主の「おまるの歌」と「茶摘み」がそれなんですが、あたしが小学生の頃親父が酔っては「線路は続くよ」歌ってくれとか言ってた時期がありまして、今になってみると何かそんな思い出のある歌だったんだろうなあと懐かしく思われます。あ、まだ生きてるんだ (^_^;)

土曜日直売会終えて帰宅してから上の坊主の誕生日ということで蕨の街に繰り出しました。早いもので今年25歳。何が食べたいか聞いたら以前は寿司か焼肉だったものを、食物の美味い居酒屋がいいなんてね。大人?(^O^)
二つほど当てが外れて後たどり着いたのが西口の炉端焼き。初めて三人揃って口開けは生!大人?なんか嬉しい〜!





 
 

久々にあれこれ話も弾みまして、しなくてもいい苦労かけるようなダメな父親ですがありがたいこってございます(T_T)
宴はねて、いつもなら二人でTSUTAYA寄ってくから先帰っててとなるのにこの夜はカラオケ行こうということになりまして、三人で行くのは初めて。これまた嬉しい〜〜(T_T)



バンドのライブで聴いてますから上のがそこそこ上手いのは知ってましたが、下の坊主もいつの間にやら音程しっかり取れて高音も伸びまして親の欲目でなくなかなかのもんで。
つい先日ユウセンでこいつが小さい頃よく歌ってた曲聴いて、当時を思い出して涙腺ウルウルきてたので見事変貌した姿に更に泣きそうになっちまいました (T_T) 背も毛も負けても歌だけはまだまだ負けないつもりでいたんですけどね。
しかしあれだね。キャッチボールで息子の球取れなくなるのと同じでかつて教え込んだもので抜かれる瞬間ってのが父親の醍醐味と言いましょうか、それだけ濃密な時間を共有した余禄なのかもしれませんね。

3時まで歌うという彼らを残し一人家路をたどりながら、吹き抜ける夜更けの風にこれまで感じたことの無いある種の満足感と、同時にまた寂寥感で胸が一杯になったんであります。
こいつらがいてくれて良かった!あたしの生きた証です!父ちゃん母ちゃんじっちゃんばあちゃん、みんなみんなホントにありがとうお~ (ToT)/
 
 
 

2016年3月26日土曜日

直売会で依怙贔屓する

今日は直売会でした。お花見するには寒くて天気もイマイチ、ならニッコーにでも行こうか?なんてんでドッとお客さんつめかけるかと思いきや朝一はそうでもなく、それでも開店前にはいつものように沢山待ってるお客さんが。試食の方も開店前から力いっぱい焼きました! 



スタッフ一同煮込みの試食。

終わってみれば暮れ並みとは課長の意見。確かに忙しかったかも? (^_^;)
そんな中でもちびすけとのお写真は欠かせません。うちの子は男ばっかなのであたしゃ女の子を依怙贔屓しております (^O^)











今回も沢山にありがとうございました!来月は四月三十日ですっ!
おっとその前に来週月曜からお引渡しの予約受付開始です、四月一日までですよ~!!


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