先週土曜日は市ヶ谷で開催された上島嘉朗講演会に行ってきました。
この方は中学生の時漫画「空手バカ一代」を読んでケンカ十段芦原英幸の下へ押しかけ弟子として故郷長野から四国に渡り空手修行に明け暮れ、松山の高校に通いながら苦学する中バイトの一環で新聞投稿を繰り返すうち地元新聞社社主の目に留まり記者となり、その後一流大学卒ばかりが揃う競争率百倍以上の難関を突破して産経新聞に入社、雑誌「正論」編集長を務めて今は保守系言論活動、YouTube配信を行っているという異色中の異色の経歴の持ち主であります。
あたくしがこの方に惹かれるのは声涙ともに下るといった語り口からにじみ出る人柄と言葉の選び方でありまして、同じく現在最も傾倒している文芸評論家浜崎洋介氏のそれが鋭利な刃物とすれば上島先生は木刀の素振りとでも言えましょうか。
実際お会いしてみると決して大柄ではないものの格闘家出身らしくがっちりと固めた姿にもまた人柄が出ておりました。
演題「日本人のこころ 古代から現代まで~大河の一滴」は日本人とは何者か?現代人は何を引き継いでゆくべきかを和歌に引き付けて縦横に語りまして、感動あり憤慨あり実に面白い二時間でございました。
一例ですが戦後教育の問題点として自国の神話に始まる歴史観をいかに蔑ろにしているかについては、ろくすっぽ情報も交通手段も無かった時代の大陸の史書を論拠として語られる邪馬台国と卑弥呼の事を例に引き、辺境の噂話程度の魏志倭人伝を古事記や日本書紀の上に置く馬鹿馬鹿しさ。
例えば古事記の記述にある出雲大社が現存するという世界史的に見ても書物と遺跡とが一致することの稀有さ。しかもそれが現在でも脈々として生きている奇跡ともいえる事実。
言われてみりゃ邪馬台国→大和国、卑弥呼→日御子だよね~そりゃ。
講演会に続く食事会から二次会まで通しのチケット買ってましたんで最後のカラオケボックス(もちろん歌は無し)での十人余りの中、最後はあたくしひとりで質問攻めにしたような形となり、その意味でも意義深い夜でございました。
んが
参加者の九割以上があたくしより少し上くらいのリタイアしたと思われるじいさんばっかで、こういう話は若い世代にこそ聞かせたいものの金と暇ができる年代になって政治や思想に興味持つってのはありがちながら、平日含む五泊30万の戦跡巡るツアー行かれる余裕となるとちょっと次元違うかもと。
趣味もいいけどさあ。
筋違いかもだけどあたしゃちょっと言いたいんすよ
四時から昼まで仕事して駆けつけて、十時過ぎまでぶっ通しで話聞くのが熱量ってもんじゃないのか!と。
ゆとりありゃあ出来てもね。できないとこをやるのがさ。
手前みそ手前みそ ( ;∀;)
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