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2024年9月9日月曜日

人が還るのはやはり大地であると知る

 先週駆け足で納骨に行ったお話を「墳墓の地をゆく」と題した旅日記にいたしました。

直売会がらみの日程を無理してまで行ったのはこの日曜日にメインとなる?お墓での納骨と四十九日法要に戒名が必要だったからなんであります。

亡くなって後三年ほどはいろいろな法事があり、その度親族揃って新潟まで出向くのはいささか厳しく特にお袋が高齢であれば行きやすい都内にあったほうが良かろうと、新たに上野に集合型の墓地を購入したんであります。

こりゃどういうものかというと言い方あれっすけどシリンダー型のピストルがいくつも並んでるみたいなもんで、銃口がお墓でその前にお参りの人が来ると弾倉が回ってお骨と墓碑が現れるという。

故に近郊の大型墓地に墓石を立てるのに比べると都心であるにもかかわらず驚くほど低価格でありまして。

この手の墓地の大半がお寺の名前でありながらも実際の経営は大手の葬儀社なんだそうで、言うたらなんだけどややもすれば宗教的な面より効率重視の傾向であるのに対し、こちらはれっきとした寺院であり故に仏様第一主義?であるという。

例えばお骨の収蔵の仕方一つとっても省スペースに徹すればタワーパーキング型が最も効率的で、先ほど例に引いたようにお参りの度全部のお骨がガラガラ回って騒がしくゆっくり寝てらんないみたいな。

その点一つとってもここは各階に並べて置けるだけでお参りされるお骨だけが移動する形であると。

その他にも調度や素材いちいち京都の宮大工さん発注の本式のものばかりで、本物のガンダーラの石窟仏までありまして。


てなわけでまたも一族うち揃っての法要となりましたが実際に納骨されるのを見ましたらどうしたって機械的な印象が強くって、それはそれで納得ずくとは言いながら先週青空の下で累代の墓所に収めた時と比べるとどうにも味気なくってね~。

古刹の本堂の匂い、いつの時代とも知れぬ黒ずんだ位牌、奥まったご本尊に響くハイトーンの読経の声、黒御影石の冷たい手触り、時折強烈な日差しを遮る浮雲の陰、奥山で鳴く蝉の声を乗せ寺域を渡る風。

そしてそれら全てはやがて雪に埋もれるであろう短い夏の終わり。

分骨した量はこっちに比べほんの少しと言いつつも、おやじが本当に喜んでるのは彼の地であろうとしみじみ思ったことでございました。

やはり人が還ってゆくべきは先祖代々の大地でありましょう。

ありがたいありがたい。









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